何かから呼ばれたようだった。


「早く、こっちです」


そう言われたような気がした。導かれるように歩いた。目的地も何もなかったが、なぜか、そっちに行かなければならないような気がした。ただ、後ろから頻りに風が吹いていたのは覚えている。


のことは気がかりだった。皆、自分は消えて死んでしまったと思っているだろう。とて例外ではないはずだ。泣いているだろうか。それとも怒っているだろうか。


「待っているのですよ」


風が言っているのだろうか。それとも空から聞こえてくるのだろうか。


花が空に舞った。その中に、見つけた。


























最初で最後の約束を




























「…なんで、生きてるの?」


涙混じりには訊ねた。どのくらい時間が経ったのかは分からない。しかし、ようやくの涙は収まった。


「…妲己が助けてくれた」


太公望の答えに、はきょとんと彼を見上げる。ふ、と太公望は笑った。


「妲己は女カの体を乗っ取り、この星に消えたであろう。その妲己がどういうわけか、わしのことを助けてくれたのだ」


妲己の、最後に言った言葉が甦る。これから見守っていってあげると、妲己は言った。


「そうなんだ…」


分かったような分からないような話に、は一応頷く。ああ、でも、理由がなんであれ、生きていてくれて良かったとは思った。そんなことを考えるとまた目の奥が熱くなってきて、それを隠すようには太公望の背に回す腕の力を強める。


「……えらく、積極的だのう、おぬし」


言いながら、頭を撫でてくれる太公望に、はどこかほっとした。


「…だって、私、本当に、寂しかったんだから。千里眼持ってる原始天尊さまも、黒点虎ちゃんも、太公望はいなくなったって言うし、申公豹も楊ゼンさんも、太公望に関しては何も言わなくなるし。みんな…みんな、太公望のことに敢えて触れないように話とかして、私、ほんとに、寂しかったんだから」


ぎゅっと、手に力を込める。あんなに泣いたのに、どうしてまだ涙が出てくるのだろうと思った。


「それは…すまんかったのう」


しかし太公望に、は首を振る。


「…生きててくれたから、いい」


太公望は嬉しそうに笑った。顔を俯かせていたには見えなかったが。


「…太公望は…これからどうするの?」


は顔を上げて訊ねる。


「さーて…どうするかのう」


「四不象ちゃんたちには会わないの?武吉くんも落ち込んでたよ?」


「そうだのう…ま、後々あやつらには会いに行くよ」


今から会いに行く気は全くなさそうだった。は眉根を寄せる。会いたくないのだろうか、と思った。の胸中を察したのか、太公望は笑う。


「まだおぬし以外は、わしが生きておることは知らんだろう?あやつらをからかうのも、面白そうだからのう」


やるべきことを全てやり終え、その暇つぶしに当てたいのだそうだ。は、呆れたような、微妙な顔を太公望に向けた。


「……なんで私には会いにきたの?からかったら怒りそうだから?」


自分で言っておいてなんだが、もしそうなったら間違いなく太公望に対して怒り、何が何でも探すだろうと思った。悲しいなどという感情は消え失せるかもしれない。太公望はまた笑った。


「おぬしには、一番に会いたかったからだよ」


驚いて、は目を丸くした。思わず我が耳を疑うほど。まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。


「大層怒られるのではないかと思って、びくびくしておったよ」


は笑った。


「…ふふ、嬉しい、ありがとう」


笑った拍子に、涙が一筋、頬を伝った。その涙の跡を、太公望は指でなぞる。


「…おぬしがいてくれて、良かった」


不意に、唇に感触がした。何秒かだったのか、何秒もだったのかは分からない。けれど少し経って、その温かい感触が離れたとき、の涙は止まっていた。そして、すぐそこに太公望の顔があるかと思うと、再び抱き締められて、ぽんぽんと頭を撫でられた。


「さて、散歩にでも行くかのう」


それからゆっくりと離され、に背を向けた太公望は言った。はその場に突っ立ったまま、太公望の背中を見つめる。


「……、…え?」


「おぬしも行くか?」


くるりと振り返った太公望に、は呆けたままの顔で、やはり太公望を見つめた。


「ほれ」


強引に手を取って、そこから歩き出す。風が吹いた。手を引かれながら咄嗟に、は後ろを振り返った。少し離れた岩の上に、明永仙姑の姿が見えた。微笑みながらこちらを見ている。次の瞬間には、空気に溶けるように消えてしまったが。


「…太公望」


呼ばれて、太公望はを見下ろした。は真顔のまま太公望を見上げる。


「私、太公望のこと好きだよ。たぶん…この世界で一番大好き」


一瞬、の手を握る太公望の力が緩んだ。足が止まる。


「…わしも、のことが好きだよ」


微笑みながら言った太公望につられるように、の顔も笑みに変わる。


良かった。二度と、後悔をしないように。後悔をする日が来ることはないだろうと思うけれど、言っておかなければならないと思った。言いたいと思った。言えることも、言ってくれた言葉も、とても嬉しい。私は今きっと、とても幸せなんだと思う。


力をくれて、大切なことを教えてくれてありがとう。大好きな人を、守ってくれてありがとう。大切だと、大好きだと思える人に出会わせてくれて、ありがとう。会えて本当に良かった。


「…会いに来てくれて、ありがとう」


悲しみも寂しさも、どこかへ飛んでいってしまった。風に乗って消えてしまった。は手を握り返した。


どうか、離れませんように。いつまでも一緒にいられますように。願いを込めた。


































あとがき


   


2006,09,23