天を裂くような大きな稲妻が、万仙陣による文字が刻まれた空いっぱいに走った。申公豹の雷公鞭による雷だった。それらは、魂魄分裂によって何人にも分かれていた女カの数人に当たる。万仙陣を布いたことで、宝貝の攻撃が女カに効くようになったのだ。続いて、燃燈も万古幡で攻撃を繰り出す。万古幡の重力場は何人もの女カを飲み込んだ。


「…すごい」


は呟いた。燃燈の脇を、金色の大きな龍が一匹すり抜ける。ナタクの、金蛟剪での攻撃だった。万古幡の重力から逃れた女カを残さず倒していく。金色に光る龍は一匹だけなのだが、以前まで金蛟剪から出てきていた虹色の龍たちより大きく、しかも威力も比べものにならないほど強いようだった。ナタクの後ろでは張奎が禁鞭で、聞仲も目じゃないほどの使いこなしを見せている。ナタクと張奎は女カから球体に閉じこめられたままになっていたのだが、それぞれ中で特訓でも重ねたのか、見違えるほど強くなっていた。


「…でもちょっとは、バリア張ってる私のことも考えてほしいなぁ」


地面に突き刺したままの宝貝を握りしめ、は皆の戦いを見上げる。空中だけで戦うのはいいのだが、蓬莱島の地面やなんかに当たる攻撃をされると、衝撃が伝わってくる。蓬莱島の表面全体に張り巡らせた風の壁は、宝貝による技や攻撃を全て地表に当たる前に消滅させた。地上にいた崑崙や金鰲の仙道は残らず崑崙山に避難している。女カの四宝剣と、スーパー宝貝で戦うのはいいが、そのせいで蓬莱島がぼろぼろになっては意味がなかった。太公望はこの蓬莱島へ来たとき、「ここは後々使い道がある」と言った。


「ちゃんと気をお張りなさい」


「…分かってるよ」


声の主を振り返り、は少し顔をしかめる。雷公鞭を持つ申公豹を黒点虎の背からこちらを見下ろしていた。


「申公豹こそ、私なんかに構ってないで女カ倒してきてよ。力もらったって言っても、けっこう疲れるんだから」


上空では、楊ゼンが六魂幡で女カを消滅させている。全ての力を使いきる気で、は宝貝に力を注ぎ込んでいた。申公豹はなぜか笑うと、老子のいるところへ飛んでいった。老子もさすがにこの状況下で睡眠を取るなどということはしておらず、相変わらず怠惰スーツは着ているものの、傾世元禳をしっかりその手に持っていた。傾世元禳で女カを錯乱させ、女カ同士を戦わせている。
いくら女カといえども、状況は圧倒的に燃燈たちスーパー宝貝保持者の方が有利だった。女カが四宝剣を使うより前に、スーパー宝貝でその女カを倒していく。しかも、本体を人質に取られて満足に四宝剣を力一杯使えない女カに対して、燃燈たちは何に遠慮することもなくスーパー宝貝の力を存分に発揮できた。徐々に女カの数が減っていく。この女カとの戦いが終わるのも時間の問題だな、とは思った。そろそろ私の役目も終わるだろう。


そのとき、は上空から自分の名を呼ぶ声を聞いた。見上げると、四不象がこちらに一直線に、しかもかなりのスピードで向かってきていた。崑崙山は仙道たちを乗せ、元いたこの場所から少し離れたところに避難しており、向かってくる四不象は何からも遮られることなくよく見える。崑崙山のすぐそばで楊ゼンと申公豹と燃燈が、魂魄分裂していた最後の女カを倒したのがから見えた。その崑崙山や燃燈たちのいるところと違う方向からこっちに飛んできている四不象を、は少し疑問に思った。そういえば楊ゼンたちが女カを倒していたとき太公望はどこにいたのだろう、姿を見ていない。


しかし、のその思考はそこで止まるしかなかった。それ以上何かを考えられる余裕がなかったからだ。に向かって真っ直ぐ下降してくる四不象はそのスピードを緩めない。なんなのかさっぱり分からないながらも、は、このままではぶつかられてしまうということだけは分かった。しかし宝貝から手を離すわけにもいかず、狼狽えながらその場に立ち上がり、片手だけ宝貝を握ったまま四不象を正面から見つめながら固まっていた。


本当にぶつかる。身構え、咄嗟に目を閉じたが感じたのは、強い風と不自然な浮遊感だった。左手には、握りしめていた宝貝の重さを感じた。地面に突き刺しているはずの宝貝の重みを感じることなどないはずなのに。目を開けると蓬莱島の地上が眼下に広がっていた。が宝貝を突き刺していたところから、風の壁が、波紋のように広がりながら消えていっているのが見えた。崑崙山と、その近くにいる楊ゼンたちも見える。


さんっ」


右腕が掴まれていることに気付き、そこにもう一つ力が加わって、強く引っ張られた。ようやく安定したところに腰を下ろせたと重うと、そこは四不象の上だった。


「無茶をした、すまんかったのう」


右腕を掴んでいたのは太公望で、たった今加勢してを引っ張ったのは武吉だった。太公望は苦笑いを浮かべている。に一直線に向かってきていた四不象は、ぶつかると思ってが目を閉じたとき、の横すれすれを通り過ぎ、その一瞬に太公望がの右腕を掴んでそのまま四不象は上昇したのだ。


「なん…一体、なんなの?心臓に悪い…」


大きな音をたてている胸の辺りを押さえ、はしかめ面をした。四不象に乗せてくれるなら乗せてくれるで、もっと丁寧にやってほしいものだ。


「妲己を追ってるんです」


「妲己?」


武吉が正面を指差す。は武吉の指した先を見た。「妲己」と武吉が言った相手は四不象の前方を飛んでおり、女カの本体の姿をしていた。


























本当の目的




























妲己は女カの本体を乗っ取っていた。妲己は「借体形成の術」という術を使うことが出来、その術を使って今まで何度も人間界で王をたぶらかしながら生活していたのだ。女カの肉体をその術を使って乗っ取ることは可能だった。太公望と武吉に聞くと、女カの魂魄の大本までも、妲己は肉体を乗っ取るときに殺したという。女カが本体に戻ろうとした瞬間、女カの本体が動いて魂魄を消滅させたのを見たそうだ。妲己の方が、女カの本体に入るのが早かったのだ。


「…なんでそんなこと?」


に、太公望は首を振るだけだった。太公望にも分からなかった。なぜ妲己は女カの身体を乗っ取ったのだろうか。妲己は太公望に、答えを教えてやると言って付いてくるよう促したということだった。
妲己は蓬莱島からワープゾーンを抜け、地球へと戻ってきた。四不象は妲己の後を付いていく。やがて妲己は、大きな滝をすぐそばに臨むことの出来る広い川へやってきた。そして、川から頭を出している大岩の上に降りた。四不象は上空から妲己を見下ろす。妲己は岩の上で、何をするでもなく立ったまま、四不象たちを見上げた。


「スープーと武吉は近くで待っておれ」


太公望は妲己のいる近くへ降りることにした。四不象と武吉は頷く。


「…私はどうしよう?」


四不象たちと待っているべきか、太公望と一緒に妲己の元へ降りるべきか分からず、は躊躇いながら訊ねる。すると予想外に、太公望はに手を差し出して、「一緒に行こう」と言った。当然断る理由もなく、は頷いて手を取る。そしては、宝貝も使わず宙に浮きながら空中を移動するということを初めて体験した。妲己の正面で、妲己のいる岩よりも少し小さい岩の上に降りると、二人は手を離した。滝の音と、水の流れていく音が辺りを支配している。


「来てくれてありがとう、太公望ちゃん。それに、ちゃんも」


姿形は女カなのだが、声は妲己のものだった。なんとなく奇妙な感じで、は妲己を見つめる。四不象は変身後の姿から元に戻り、武吉と一緒に上の方から3人を見下ろしていた。


「ねえ…2人は、わらわの本当の目的がどこにあるか、分かってたかしらん?」


妲己は微笑みながら言った。もちろん、には妲己の言う「目的」には見当が付かない。まず女カの本体を乗っ取るなんて、予想できる範疇を超えていた。


「…少なくとも、わしらのいた仙人界や、おぬしが暮らしていた人間界とか、そういう枠組みの中には全く関係ない目的のように思えるのう。それ以前に、わしらとの様々ないざこざすら、…娯楽の一つだったのではないか?」


妲己は笑みを崩さない。姿が女カではあるが、これがいつもの妲己の姿だったら、間違いなくあの綺麗に整った笑顔を見ただろうとは思った。太公望の言葉を、妲己は肯定した。


「そのとおりよん。わらわの目的は、もっと別の…もっとずっと高いところにあったのん」


妲己は、長い両腕を広げた。


「それは、この星の真の支配者となること」


全てを受け入れるかのように広げられた両腕は、ゆっくりと下ろされる。太公望もも黙っていた。


「ずっとずっと昔、女カと出会うより前のわらわは、何よりも力を欲していたわん。仙人界と人間界両方を完全支配するという夢のために、ゴージャス生活の傍ら、来る日も来る日も修行に明け暮れていたのん」


そして妲己は、初めて女カと出会う。ちょうど、夏王朝が殷王朝に替わる時期で、殷王朝の初代皇帝となる者を操るために動いていた女カと、妲己は運良く接触したのだ。


「初めは、このひとの力もわらわのものにしてやろうって思ったのよん。野心家であるわらわにとって、それは超ステップアップでしょん?」


そんなある日、妲己は女カから、自分という存在と始祖のことを聞いた。なぜ女カの本体が厳重に封印されているのかも。


「始祖という、彼らの存在は衝撃的だったわん。とっても大きな力を持ちながらもそれを使うことはせず、この地球と融合し、永遠を手にしたひとたち。…わらわの信念は、一瞬にして崩れ去ったわん」


自分の理想は、なんて卑小なのだろうと思った。そして、彼らのしたことはなんて壮大なのだろうとも。


「いまここを流れている水にも、この岩の上に転がっている小石にも、始祖は存在している。この地上のものすべてに恵みを与えながら存在している」


はじっと妲己を見つめた。


「そして、思ったのよん。…この世の全てのものに居ることが出来たなら…どんなに素敵だろう、って」


そう言って、妲己は口を閉じた。沈黙が訪れ、滝の音が響く。絶え間なく落ち続ける水は涸れることを知らないようだった。その沈黙を破ったのは、太公望だった。


「…それが、おぬしの答えなのか?」


妲己は微笑んだまま無言で、答えなかった。女カの身体が、ゆっくりと宙に浮かぶ。


「もともと、女カもこの星と融合するはずだったわねん。だったら、わらわが代わりにそれをやっても、不都合はないでしょん?」


瞬間、女カの身体が、風に吹かれて散っていく花びらのように崩れ始めた。は目を大きく見開いた。


「ばいばい、太公望ちゃん。ちゃん」


ぼろぼろと崩れながら、消えていく。


「わらわはマザーとなって、あなたたちをずっと見守ってあげる」


一瞬、女カの姿が妲己へと変わった。微笑み、太公望とを見つめている。全てを包み込むような優しい笑顔だった。思わず太公望は手を伸ばす。


「まて妲己、まだ消えては、」


妲己にあと数センチで手が届きそうだったそのとき、妲己の姿も笑みも全て消え、見えなくなって、太公望の言葉を遮るようにパンと乾いた音がして、妲己は二人の目の前から消え去った。さらさらと崩れていった身体は、空気に溶けるように見えなくなる。行き場をなくした太公望の腕は、ゆっくりと空を掻いて、下ろされた。今の今まで妲己のいた岩の上に立つ。は、その場で立ったまま太公望の背中を眺めるしかなかった。
妲己は消えてしまった。残ったのは滝の音と、足下を流れていく水の音。は太公望に声を掛けようとして、瞬間、


「…っ、」


異様な寒気が走り、は身体を強張らせた。鳥肌が立ち、太公望に掛けようとしていた声も忘れ、自分の体を抱き締めるように両腕を強く掴んでいた。


「…


見ると、太公望が宝貝を左手に持ち、いつの間にかの方を向いていた。その顔には厳しい表情が刻まれていた。何かが起こると、嫌でも確信させられる。太公望はのところへ飛んでくる。


「おぬしは崑崙山を守ってくれ」


は狼狽えながら頷く。


「…なに…これ、なに?どうなってるの?」


辺りに満ち溢れている威圧感と緊張感はなんなのだろう?そしてこの拭い取れない嫌な予感はなんなのだろう?太公望がこの感覚に気付いていないはずがない。崑崙山を守れと言うことと、この辺りを包む威圧感のようなものが無関係でないことは、誰であっても分かるだろう。女カの魂魄は全て倒されたはずだ。そして、妲己に乗っ取られた女カの本体も、たった今妲己として消えていった。


「…よいか、頼んだぞ。その後のことはまた考える」


太公望は険しい表情のまま、の問いには答えず言った。は口をつぐむ。そして、もう一度だけ頷いた。


「ただし、無茶はするなよ」


念を押すような太公望の物言いに、は不謹慎ながら表情が緩んだ。


「…死ぬでないぞ」


「それは、こっちのせりふ」


そう返すと太公望は目を丸くし、は太公望より高いところへ飛んだ。ワープゾーンを抜けて、蓬莱島にいた仙道全員を乗せた崑崙山も地球へ戻ってきていた。妲己の消えた滝のちょうど真上辺りに浮いている。がちょうど崑崙山へ飛んだのと入れ違いに、楊ゼンが太公望のところへ下りていった。崑崙山の上には、怠惰スーツを着たままの老子もいた。怠惰スーツの中から、妲己が消えた辺りを見下ろしている。


「…女カの身体が再生していく…」


老子が呟いたのを、は聞いた。


「女カの魂魄は全部倒したはずですよね?消えていった女カの身体が再生していくって、それ、どういうことですか?」


老子は眼下を見下ろしたまま、の方は見ない。


「…仮説だけど、女カはあらかじめ、封印されていた自分の本体に魂魄の一部を残していた。そうしたら、本体の封印が解かれたときに何か問題が起こっても、その問題に対応出来る」


は、宝貝を両手で握りしめる。もしかすると、女カは、妲己から肉体を乗っ取られることも計画のうちに入れていたのだろうか?長年妲己の近くにいたであろう女カが、妲己の本当の目的に気付いたという可能性は、ないとは言い切れない。


「それよりも、は今は崑崙山を守ることだけを考えなよ」


理由を知ることができても、それでどうにかなるわけではない。妲己が消えた場所に、白い雲のようなもやのようなものが渦巻きながら集まっていくのが見えた。は宝貝を握る手に力を込め、蓬莱島でしたときと同じように宝貝を突き立て、崑崙山全体を包む風を張り巡らせた。


「…私、崑崙山だけの防御でいいんでしょうか?」


「女カの本来の力がどのくらいか、まだ分からないでしょ。下手に崑崙山以外まで守って、あなたに今死なれたら困るんだよ」


だから太公望は、「後のことはまた考える」と言ったのだ。今までに見たことも感じたこともないほどの力が、一箇所に集まっていくのが分かる。痛いほどの緊張感が辺りを包んでいた。


誰かが大声で注意を促したのが聞こえた気がした。その瞬間、力が集まっていた場所が、爆発したかのように眩い光と共に一気に広がった。幾本もの光の線が、空いっぱいに広がるように伸び、それらは全て綺麗な曲線を描きながら地上に落ちていく。これが空から降ってくるものだったなら、流れ星のように思ったかもしれない。光の筋が落ちてきた場所は衝撃や熱で抉れ、一瞬で荒れ地になっていく。どんな宝貝や術を使ったとしても、これほどまでにはならないだろう。


は力を込め、力も気も抜かないよう引き締め直した。なんとか、崑崙山は守れた。しかし、下に広がる景色は悲惨なものだった。数分前まで豊かな水が流れ緑に溢れていたそこは、今や見る影もなくあらゆるところから土煙が上がり、地面は割れている。


空から、声が響いてくる。力の集まっていた場所には、大きな光の柱が空から地にかけて立っていて、声はどうやらそこからのようだった。


「…もう、こんな星などいらぬ」


女カの声だった。しかし魂魄体だったときとは圧倒的に雰囲気が違っていた。光の柱の中にその姿が見える。


「もういらぬ。このような星、すぐに破壊してくれる」


銀色に光る姿は、光の柱の中で、一層強い光を放っていた。


































      



2006,09,13