数千年前というと、は勿論生まれてなどいない。そんな数字を出されても、自分と直接関係あるとは到底思えなかった。は怪訝そうな表情を浮かべる。 「数千年前、崑崙山にある一人の仙人がおった」 原始天尊は淡々と言葉を紡ぐ。「いた」ということは、現在はいない仙人なのだろうか。は思ったが、聞けるような雰囲気ではなかったのでその疑問は出さずにおいた。 「仙人の名は 「明永…」 自分の口でその名を呟いたとき、どきりとは胸の辺りが震えたのに気付いた。 「明永は仙人…仙女だった。崑崙でも指折りの、大層優秀な」 「その人が、」 何かがたまらなくなり、は胸を押さえた。急かすように、なのに原始天尊の言葉を遮るように、言葉を発していた。どうしてなのかは分からなかった。 「…私と何か関係が?」 原始天尊はの表情を見つめる。そして、数度目のためいきをついた。 「明永仙姑とは、明永の仙人名じゃ。彼女は人間界出身、人間の時の名もあった」 体が凍りついたように動かない。 「明永仙姑、仙界に来るまでの人間界での名は、と言った」 真実の正体 「………」 呟いたの声は、何故だか少しだけ掠れていた。自分の名であるその言葉が、今は遠いものであるような感覚がした。 「明永は二千年ほど前に死んだ。人間界におるときから胸の病にかかっておってな、仙界に来てからは薬でなんとか長らえていたのじゃが、徐々に悪くなっていっておった。そして二千年ほど前に、彼女はこの世を去った」 仙道は不老不死と言うが、治す術のない病にかかってしまえば、「不老不死」の道は絶たれてしまう。 「。『封神計画』は、二千年前から計画されておったものなのじゃ」 原始天尊の言葉に、は目を見開いた。そんなに昔から計画されていたものなのか。原始天尊は続ける。 「女カを倒すという計画は、ずっと昔に決められておった。女カの存在も、その女カがどれほど大きく、強いものなのかも、ごく一部の者はその頃から知っておったのじゃ」 例えば、太上老君、通天教主などはそうだったという。そして最近では、申公豹や、蓬莱島を目指していた聞仲、趙公明も知っていたのではないか、と原始天尊は言った。 「女カを倒す計画をたてたとき、我々は女カを倒せる戦力がどれほどいるかを考えた。そしてその中には勿論、明永が入っておった」 明永仙姑は強い力を持つ仙女だった。三大仙人や申公豹には及ばないが、当時の妲己よりは強い力を持っていたのではないか、ということだ。 「とはいえ、明永は攻撃系の宝貝は好まぬ奴じゃった。相性の問題もあったのやもしれぬ、防御の方の能力ばかり長けておった」 それでも、重要な戦力には変わりなかった。 「そんな明永が死ぬのは、実に忍びないことじゃった。わしの愛弟子であったということもあるが、彼女の力があるかないかで、気の持ちようも変わる。味方は一人でも多い方が良いと、よく言うじゃろう」 は応えることも忘れて、瞬きもせず原始天尊を見つめた。 「わしは、明永の力を失いたくなかった。じゃからの、わしは、明永が死ぬとき、その魂魄を封印したのじゃよ」 「……、な」 言葉が出てこなかった。魂魄を、封印した?それはまるで、 「そう、封神台と同じ原理じゃよ。明永のときは部屋だったが」 「…部屋…?」 「明永が死んだら、その部屋で魂魄が形となり、またそこから逃げぬようにしたのじゃ。そしてわしはその魂魄を保管した。勿論、生前に明永の承諾を得てな」 また、胸が大きく鳴った。 「わしは明永が死んでから、何十年も、何百年も探した。明永の魂魄を入れることが出来る体の人間を」 は両腕を掴み、ぎゅっと握った。宝貝が風で揺れる。 「仙人骨を持ち、尚かつ明永の魂魄と合う体を持つ人間は、わしの思いとは裏腹になかなか現れなかった」 目を逸らすことも出来なくなったを、原始天尊はゆっくりと見つめた。その目は不思議な光を放っていた。 「計画実行まで100年をきったときじゃったよ、周族の住む小さな村に適合者が生まれたのは」 明永仙姑が死んで数千年経ったその日、原始天尊が待ち望んだ人間が生まれた。その村の、一組の夫婦の間に生まれた長女だった。 「その赤ん坊は、何の因果かと名付けられ、大事に育てられた。そして娘が10歳になったある日」 その村は殷の兵士たちに襲われた。王の死後の付き人にするため、生きたまま捕らえられていった。だが、娘は奇跡的に助かった。父と母の命と引き替えにして。 「わしは早速その娘を崑崙山に連れて行き、明永の魂魄を娘の体に入れた。娘は生きておったが、力を持つ明永の魂魄の方が、まだ幼い娘の魂魄よりも強く、明永が目を覚ますじゃろうと思った」 は息をのんだ。原始天尊の言っている意味が、よく分からなかった。 「しかし、目覚めたのは明永ではなく、娘の方じゃった。わしの予想は大きく外れた。明永が、長い年月が経った所為で全てを忘れておるのではなく、目覚めたのは娘の方だったのじゃ」 明永の魂魄は確かに少女の体に入った。しかし明永は目覚めなかった。原始天尊は困惑した。明永はどこにいってしまったのだ、と。 「だが、魂魄が自然消滅するなどということはない。明永は確実におるのじゃ。、…おまえの体の中に」 言葉が出てこない。沢山のことが頭の中で、ぐるぐると回っている。どれから理解すればいいのか分からない。 「明永の魂魄が入ったおまえを『封神計画』の最前列に据えれば、何かが起こるのではないかと思っておった」 一番望んでいたのは、明永仙姑の復活。明永仙姑が魂魄となってまでこの世に残ることになった大本に関われば、何かが作用して目覚めるのではないかと。だがそれは、まだ起こっていない。「」がここにいるのだから。 「女カとの戦いは間近じゃ。それまでに、おまえに言っておかねばならぬと思った」 ふい、と原始天尊はから視線を外すと、同時に飛来椅も動いた。 「…話は、以上じゃ」 その場から離れようとする。 「…ま、待って、待ってください!原始天尊さま!」 原始天尊の話は全て終わった。だが、沢山のことがの頭の中で破裂しそうになっていた。呼び止められ、原始天尊は飛来椅の動きを止めた。だが、を振り返ることはしない。 「原始、天尊さま、私…私は、明永仙姑のために、仙人界に、連れてこられたのですか?」 言葉が上手く続いてくれない。そして、原始天尊はその問いに答えなかった。 「私は、明永仙姑のために、封神計画に荷担しているのですか!?私、私は…明永仙姑がいなかったら、ここには、いなかったのですか!?」 明永仙姑がいたから、仙人界に連れてこられた。明永仙姑のために、封神計画に荷担していた。明永仙姑がいなかったら、ここにいることはなかった。声を荒げ、肩で息をしながらは原始天尊の答えを待った。 「…すまぬ、」 原始天尊はそれだけ、呟くように告げると、その場から消えた。 はただ、その場に立ちつくすしかなかった。 「おう、!」 何も考えられなくなって、はふらふらと歩いていた。なんだか、誰とも会いたくなくて、太乙と四不象、太公望が待っているであろう崑崙山2と正反対の方向を目指していた。なのだが、突然名を呼ばれ、驚いては顔を上げた。声のした方を見ると、太公望だった。 「原始天尊さまの話は終わったのか?なんの話だったのだ?」 崑崙山の残骸の一つから、太公望はの目の前に飛び降りてきた。 「…なんか、…世間話…」 「世間話?」 太公望は笑った。勿論、世間話ではないことくらい気付いているだろう。だが太公望はそれ以上聞かなかった。が言わないのだから、言いたくないのだろう、言いたくないことを無理に言わせる必要はない、と。 「楊ゼンが、禁鞭と六魂幡を探すと言っておったであろう?わしもちと探してみようかと思ってな、崑崙山2にはまだ戻っておらんのだ」 スープーが、遅いとぼやいておるかもしれんのう。そう言って、笑いかける太公望はいつも通りだった。その笑顔が無性に懐かしいようで、また、見ていると悲しくなってきて、寂しくなってきて、は俯いた。 「…?どうし、うおっ」 は太公望に抱きついた。太公望は一瞬よろめいたが、すぐに立て直した。の肩は震えていた。 「…?」 泣いているのか?思ったが、そう訊ねることは出来なかった。代わりに、の背に腕を回す。そして、ぽんぽんと優しく頭を撫でた。 「…太公望…」 聞こえるか聞こえないか、という声で、は太公望の名を呼んだ。 「ん?」 太公望もそれに答える。 「私…、って…は…ちゃんと、私の名前だよね…?」 途切れ途切れにが紡ぎ出した言葉に、太公望は目を瞠った。 「?」 「…私は、…私…ちゃんと、ここにいる…?」 太公望は腕の力を強めた。 「おぬしは、ちゃんとここにおるではないか。おぬしは、だ。おぬしは、今、わしと一緒におるだ」 頬を涙が伝う。 幾筋も流れて、止まらなかった。 戻 前 次 2006,2,2 |