「遅いです!」


ぴしゃり、楊ゼンは言った。


「…ちゃんと帰ってきたのだから良いではないか」


9ヶ月ぶりに会って早々、最初の一言はまず文句だった。それも当然といえば当然か。


「ぎりぎり遅刻ですよ。大体さんもさんです。まさか本当に3ヶ月丸々待つはめになるとは思いませんでした」


3ヶ月メンチ城で待つとは言ったものの、本当に3ヶ月待ち、しかも2人が帰って来ぬまま張奎と対峙することになろうとは思ってなかったのだ。しかめ面の楊ゼンに、は苦笑いを浮かべるしかなかった。ごめんなさい、と小さく告げる。


メンチ城城主の張奎。聞仲の腹心中の腹心であったという彼は、勿論仙道である。土を操る宝貝を使うらしく、今の今までその宝貝の力で武吉や蝉玉らを土の山に閉じこめていた。言うなれば生き埋め状態で。太公望が打神鞭の風でその土の山を崩し、皆を助け出したところだった。


「…ところで、三大仙人の太上老君とやらには会えたのですか?」


大きくため息をつきながら楊ゼンは訊ねた。その言葉に、太公望は笑みを浮かべる。


「うむ。今その成果を見せてやろう」


そう言うと、四不象から地面へと降りた。は四不象に乗ったまま。


「スーパー宝貝の初お目見えだ」

























神を封じた場所



























「スーパー宝貝…面白い」


霊獣・烏煙から降りると張奎は太公望と向かい合う。うっすらと笑みを浮かべて太公望を見据えた。


「あなた気を付けて。太公望に正攻法は通用しないと聞いているわ」


烏煙のすぐそばに立って、高蘭英が言った。高蘭英は張奎の妻で、金鰲島出身の仙道である。


「分かっている」


まるで波紋のように、張奎の周りの空気が波打った。宝貝に込める力と、太公望に対する力が滲み出てきているかのよう。太公望は宝貝、打神鞭と太極図が1つになったそれを自分の正面に出した。


「太極図よ、支配を解き放て!」


太公望の声を合図に、太極図から文字の羅列がぐるぐる円を描くように出てきた。それは太公望の周りを回りながら、その場一体に広がっていく。そうして、地面に吸い込まれるように消えた。場の空気が変わった。何が変わったのかと言われても説明しがたいがしかし、どこか、誰かが「静寂」を持ってきたような感じだ。
張奎は太公望の様子を伺っているらしく動かなかったが、それ以上太公望が動かないことを見て取ると、沼の上に立っていたように土の中に沈んでいく。


「あー!おいらのと似てるぜ!」


突然叫んだのは土行孫。土行孫は張奎と同じように土属性の宝貝を使う。そして何を思ったか、


「負けてたまっか!」


土の中に潜った。


「え」


「…あんのアホが」


突然の土行孫の行動に、太公望もも呆れる他なかった。蝉玉の隣から土中に消え、すぐにその姿は土の中から出てきたが、その場所は張奎の妻である高蘭英の真正面。


「おいらの狙いはこっちだったりして!お姉様ー!」


「ハニー!」


にやけた顔で高蘭英の真ん前に飛び出た土行孫に、蝉玉の表情は一瞬で変わった。高蘭英は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに元の表情に戻る。そして、


「太陽針!」


高蘭英は土行孫に手をかざし、声と共に宝貝が発動する。秘孔をつき、体を麻痺させる針の宝貝。土行孫の体はまともにそれを体に受け、同じく太陽針のせいで、太公望が張奎たちの前に姿を現す前から動けなくなっていた天化の隣に倒れた。


「ハニー…後で吊してやる…」


は背後からの凄まじい殺気に、蝉玉の方を振り向くことが出来なかった。


「…ん?なんかくる」


「下からですね」


敏感肌で人一倍空気の変化や異変に気付ける葦護と、土の中からの音を聞き取った武吉は同時に反応した。と、突如地面が動き出し、大きな音をたてながら土は生きているかのように空高くせり上がった。太公望の背丈よりより何倍も高い。


「一万貫の土で潰れてしまえ、太公望!」


大量の土が太公望に迫る。太公望は、宝貝をそれらの土に向けた。タイミングを計るように、太極図を宙で振ると、


「疾!」


先程地面に消えた文字と同じものが再び太公望の周りを囲んだ。その文字は渦のように周りながら、向かってくる土の中に消える。すると、張奎の操っていたその大量の土が、突然動きを止めた。


「なにっ?」


ぴたりとその場で止まり、崩れ始める。映像を巻き戻しているかのように、元のようにただの土へと戻っていく。


「土が…」


そうしてあの大量の土は、地面に戻った。


「おまえ…僕以上の土の使い手なのか?」


太公望は宝貝を張奎の方へ向けたまま、にやりと笑う。


「そんな能力などないわ」


だがその表情には些か疲れも見えた。スーパー宝貝が太公望から吸い取る力は大きいのだ。


「太上老君はこれを反宝貝と言った」


高蘭英と烏煙の傍で、太陽針に突かれて倒れていた天化が、急に起きあがった。


「…針が抜けたさ」


ぱらぱらと、体に刺さっていた無数の針がその場に落ちる。土行孫も、動くようになった手や足をぱたぱたと動かした。


「あらまぁ、どういうこと?」


勝手に太陽針が抜けるはずがない。高蘭英は目を丸くして首を傾げた。


「あねさん、あねさん」


「なぁに烏煙?」


「わての足がさ、治ってねぇか?」


天化の宝貝が刺さっていた烏煙の足から、ぽろぽろとその宝貝は太陽針と同じように地面に落ちている。しかも、傷まで治っていた。高蘭英はその烏煙の足を見つめた。


「どうも太極図は鎮める宝貝のようだ。直接攻撃は出来んが、宝貝によって引き起こされる全てを癒す。たとえそれが敵であったとしてもだ」


不自然なほどに静まりかえったように思える空気の意味が理解できる。太極図は宝貝を無効化出来るのだ。


「お師匠さま、すっごーい!」


武吉が歓喜の声を上げた。


「…確かにすごい宝貝だけど…それじゃあ僕らの宝貝も使えないじゃないですか」


楊ゼンはぽつりと呟いた。敵であっても、味方であっても関係ない。全ての宝貝が無効化される。


「…それがどうした!」


ぎっと、張奎は太公望に強い眼光を向けた。また、土が太公望に向かう。しかしその土は太公望の手前でやはりその形を崩し、地面へと帰っていく。張奎は拳を握りしめると、土を蹴った。


「おまえは聞仲さまを殺した!許せないんだよ!」


太公望に真正面から向かった張奎は、鋭い爪のような宝貝を力任せに振るった。太公望はそれを打神鞭で受ける。金属音が響いた。


「…聞仲、聞仲。聞仲聞仲ってか?」


太公望は宝貝越しに張奎を見る。


「その割におぬし聞仲のことを何も分かっておらぬのだな」


「なんだと?」


張奎は素速く後ろに退く。間合いを取った。が、その張奎の反応とは裏腹に、太公望はくるりと後ろを向いた。


「ついて来るがいい。聞仲に会わせてやろう」


「…な、」


太公望の言葉に、張奎は目を見開いた。


「聞仲の魂魄は封神台にある。ついて来い張奎」


太公望は四不象に乗った。はずっと四不象に乗っていたからそのままだ。ふわりと四不象は高く浮く。


「ま、待て太公望!」


慌てて張奎は烏煙に飛び乗り、高蘭英も乗ったことを確認してから、その後を追った。荒野を越え、高い崖が両側にそびえる場所を通り、林の広がる道と、そして岩山。その岩山地帯の中、不自然に砕けたような、岩山が瓦礫となったと言える場所。金鰲島と崑崙山の落下地点に着いた。


「…何度見ても嫌な光景っスねぇ」


四不象の呟きは風の中へと消える。そして、その落下地点の中、今でも宙に浮いているものが1つだけある。


「…あれか」


封神台が見えた。淡い光を発しながら、その場に静かに佇んでいる。


「うむ。原始天尊さまの宝貝の1つで、肉体的に死んだ仙道たちの魂魄の行き着く場所だ」


「本当に聞仲さまに会えるんだろうな?嘘だったらあそこにおまえを飛ばすぞ」


張奎は鋭い目を太公望に向ける。


「なにもそんなにトゲトゲせずとも…」


張奎の手に付いた鋭い宝貝が光る。


「…とは言うものの、実はわしもこれに入るのは初めてでのう」


太公望は小声で四不象とに耳打ちした。


「……なんとかなるよ。なったらいいね」


「…大丈夫なんスか!?」


と、どこからともなく何かが近付いてくる音が聞こえてきた。普通の人間が歩いている音ではない。ひたひたと聞こえるものが、近付いてくる。そちらに目を向けると、見慣れぬものが二足歩行をしながら近寄ってきていた。


「…うわ、カメだカメ!太公望、ちょっと可愛いカメがいる」


「なんだこのカメ。どこの水場から迷い込んだのだ?」


手を伸ばして触ろうとしたを遮るように、太公望はそのカメを持ち上げた。


「こんにちは太公望さま、さま」


「喋った!」


「…なぜカメが喋る?」


ぱっと目を輝かせたを尻目に、太公望はカメをじっと見つめる。


「私は封神台のメンテナンス係の柏鑑、妖怪仙人です。封神台の見学にいらしたのでしょう?ご案内します」


太公望の手から離れると、その柏鑑はまたひたひたと歩き出した。とりあえず付いていくより他にない。封神台への入り口は、下の方にあった。親切に「入り口」と書いてある。


「ではスープーたちはここで待っておれ。カメ、頼む」


「こちらです」


四不象と烏煙は封神台の外で留守番、ということになった。先頭に立つ柏鑑の後に、太公望、張奎、高蘭英、は続く。しかし少し、柏鑑は歩くのが遅かった。


「……うう、遅いのう」


太公望は呟いた。


「だってカメだもん」


太公望の隣ではさも当然のように言った。


「…それはそうだが…。しかし、先程あやつを可愛いなどと言っておったが、どういう」


「え、なんか可愛くない?丸っこくて、歩き方とか、顔とか」


は柏鑑の後ろ姿を指差す。


「…そうか?あの顔はどちらかと言うと憎たらしくなる方では」


太公望は首を傾げた。


「違うよー。ああいうのを憎めない顔って言うんだよ。それにほら、あの歩き方とかさ、ぺたぺた歩いてて可愛いと思うなあ」


笑顔のまま、は柏鑑を見つめた。


「…そうかのう…?」


「そうだよ。…太公望さ、可愛いなーとか凄いなーとか、かっこいいなーって思うこと少ないでしょ。前から思ってたんだけど」


「おぬしが色々と反応しすぎなのでは?」


確かにはよく色々なことに反応しているが。


「感情豊かにあれ!って言うじゃない」


「…おぬしの言っているのは感情とは別ものではないか?」


の表情が固まる。的はずれなことを言ったと、自分でも気付いたようだ。「感情」ではなく、「感性」の方が正しいだろう。そして「感性豊かにあれ」とはあまり聞かない。


「…太公望はいちいち細かすぎなんだよねえ。これだから年は取りたくないよねえ」


は、はあ、と大きく息をついて首を左右に振った。


「おぬしとわしは2つしか違わないはずだが!?」


「……おまえたち、ふざけてるのか?」


太公望との後ろから、トーンの低い声が投げかけられた。2人は勢いよく、同時にその声の主を振り向いた。張奎が顔をしかめて2人を見返している。その隣では高蘭英が何かを堪えるように口元に手を当てていた。


「わしはふざけてなどおらぬ。ふざけているとすればそれはだ」


「ふざけてない!」


太公望を睨んで大きく反論したに、高蘭英は吹き出した。くすくすと笑っている。張奎の表情は微妙なまま。


「皆さん、あれにお乗り下さい」


柏鑑の声が、その場で反響した。4人は同時に柏鑑を見る。今までのトンネルから出て、少し広い場所に出た。そこには変わった、乗り物だろうと思われるものが。しかもそれには顔が付いている。かなり険しい表情をした顔が。


「…なんだこれは」


「封神魔列車○マス999です!」


張奎と高蘭英は最前の座席に、太公望とはその後ろの座席に乗った。は柏鑑を膝の上に抱え、嬉しそうだ。太公望はそんなを微妙な面持ちで見つめる。魔列車は真っ白い煙を吐きながら、進み出した。金属と木の板出てきた道を走っていく。
封神台の中は、なんとも不思議な空間だった。仙人界と似ている。岩が宙に浮き、澄んだ空気、全体的に淡い光に包まれている場所だった。


「なんと…封神台の中はこのようになっておったのか」


太公望もも、全く想像出来きていなかった「封神台の中」を窓から眺める。


「封神台は魂魄を牢獄に閉じこめるものではありません。仙道たちが次の形へと進むための待合い場所なのです」


と、魔列車の進む前方に、見知った人影が見えてきた。


「あれは…」


「趙公明!」


張奎が驚きの声を上げる。趙公明はバラの花を生けた花瓶をテーブルの上に置き、初めて会った時と同じように、優雅に紅茶を飲んでいた。


「なんとまぁ…しかし結構居心地良さそうだのう」


ふ、と小さく太公望は笑った。


「カメ!本当に聞仲さまもいるのか!?」


張奎が座席の向こうから身を乗り出す。


「お会いしますか?」


にやりと柏鑑は笑う。かしゃん、と音が聞こえ、列車の行き先が「聞仲」になり、車内にも付いていた行き先表示板が「聞仲」に変わった。目的地がはっきり決まり、気のせいかもしれないが魔列車はそのスピードを上げたように思えた。そして「聞仲」と書かれた目印の立っている場所で、列車は停止した。張奎は列車から降りる。高蘭英は降りなかった。一歩一歩、踏みしめるように張奎は地面を踏む。立ち止まって、数秒、目の前にいる人物を見つめていたが、


「…聞仲さま!」


そこにいる聞仲に駆け寄った。その様子を、高蘭英はただ車内から見つめている。嬉しそうな笑顔でもなければ、悲しげな表情でもない顔で。


「…複雑そうな顔をしておるのう、高蘭英」


座席のこちらから、太公望は声をかけた。も彼女に目を向ける。


「…私は…一生をあの人と共にすると決めたのよ。共に成長していこうと」


高蘭英は聞仲と張奎から目を離さないまま小さくため息をついた。


「…ただ、あの人にとって聞仲さまという存在は大きすぎる。いつまでもあのお方の後を追うだけの男でいてほしくないと思うわ」


そこまで言うと、高蘭英はハッと太公望、に視線を向けた。


「太公望…おかしな人。敵なのになぜこんなことを話せてしまうのかしら?」


微笑みながら、高蘭英は言った。太公望は黙って、ただ小さく笑いながら。も笑顔で何も言わなかった。3人は再び窓の外を見る。遠くて、聞仲と張奎がどんな話をしているのかは分からなかった。ただ、張奎は聞仲を説得するように、何かを必死に伝えようとしている。聞仲はそれに静かに、首を左右に振っていた。


帰りの列車の中、張奎は行きの時よりも格段に覇気がなかった。高蘭英と向かい合ったまま、俯いている。


「…聞仲は、なんと言っておった?」


沈黙を破ったのは太公望。その後も少し流れた沈黙。だが張奎は答えた。


「…私のために戦うな、自分のために戦え、と…」


ぽつりと言った張奎の声は小さかった。


「戦ったわしが言うのもなんだが…聞仲はすごいやつであったよ。誰よりも強く、気高かった。しかし張奎、やつの一番偉いところは…」


「分かっている。あの方は何を犠牲にしてでも自分の大切なものを守ろうとしたんだよな、すごいよ。僕は…そんな聞仲さまになりたかった」


列車は、行きよりもゆっくり走っているような気がした。




封神台を出て柏鑑と別れると、4人はそれぞれの霊獣に乗って封神台から離れた。


「太公望、メンチ城は通過させてやるよ。僕には少し考える時間が必要のようだ。殷を離れる」


「で、ではついでにわしの味方に…」


「勘違いするな!僕はおまえ達を許したわけではない」


ぴしゃりと張奎ははね除けた。


「考えて…それでもやはり許せないときは殺しに来るから覚悟しておけ!」


烏煙は岩の上を飛び移り、太公望、四不象、から離れた。


「うむ、待っておるぞ」


太公望も四不象もも、笑顔を向けた。そしてふと、烏煙は足を止める。張奎の指示だろう。だが張奎はこちらを向かないまま告げた。


「…メンチ城を超えるともう朝歌だ。妲己三姉妹はもとより、紂王にも気を付けることだな」


「…紂王?どういうことだ?」


「おまえにそこまで教える義理はない」


「ちっ、ケチめ」


張奎の後ろで、高蘭英はくすくすと笑っていた。そうして、烏煙はその場を蹴り、張奎と高蘭英の姿は岩の向こうに消えた。


「良かったね太公望」


「良かったっス!」


「そうだのう」


と四不象が笑顔を向けると、太公望も同じように返してくれた。


こうしてメンチ城を通過できた周軍は、朝歌の真正面まで進むことになった。遮るものがなにもなくなった今、残るは朝歌のみ。


































      


2005,10,02