夢の中。やるべきことは1つだった。この、太上老君からもらった太極図、これを使いこなすこと。



「…太公望」


呟くような、それでいて耳に残る声で呼ばれた。振り向くと、そこには太上老君。


「老子。なんだ?何か用か?」


太公望は、夢の中の住人である「特訓くん」と対峙していたところだ。相変わらずな太公望の様子に、老子はため息をついた。


「もうだいぶ時間が過ぎてるんだけど、…あなたはまだ起きなくて良いの?」


「…まだこの宝貝を使いこなせておらぬからのう。特訓くんから学ぶことも多くある」


そう返すと、老子は押し黙った。


「なんだ?わしがここにおると何か問題でもあるのか?」


「…うーん、なんて言うのかなー…」


腕組みこそしないものの、うんうんと唸りだした老子に、太公望は首を傾げる。


「迎え来てるしさ、これ以上待たせたら悪いんじゃないの?」


「は?…迎え?」


何のことだか分からない。迎えとはどういうことだ。誰が誰を迎えに来ているというのだ。


「それにね、あなたが夢の世界でドタバタしてると、安眠できないんだ」


「…な、」


「というわけで」


「ちょ、待て老子」


老子の手には、大きなハンマー。「一発覚醒くん」と書いてある。老子は思い切りそれを振り下ろした。


「さようなら太公望!永久に!」


そして、木霊した叫び声は誰のものだったか。

























夢か現か



























目に飛び込んできたものは、抜けるような青空だった。今までと全く違う景色。「はて?」と違和感を覚えた。太公望は、二三度瞬いた。辺りを見回す。あぁそうだ、ここは羌族の村。老子を探してここまで来たのだった。羊の鳴き声の中、その鳴き声の主たちの背中に自分は乗っていて、


「スー…」


スープーと、呼ぼうとした。だが自分の右横、右手をついていたそこに視線を落として太公望は言葉の続きを忘れた。右隣で静かに寝息をたてているその人物を見て。


……なぜがここに。


一緒には来ていない。彼女には周軍に残ってもらっていたはずだ。じっとを見下ろす。そうか、これはまだ夢なのだ。がここにいるはずがない。これは夢の続きなのだ。起きる気配のないを見つめ、太公望は1人、頷いた。風が吹いて、髪が揺れる。その風で、の頬を髪がさらさらと流れた。何とはなしに、太公望はその頬の髪を払おうと手を伸ばした。
と、急に、今まで全く気配もなかったのに、の目がうっすらと開いた。あまりのタイミングの良さに驚いて太公望は手を引っ込める。はゆっくり上半身を起こすと、太公望を見た。最初はとろんとしていた目も、段々はっきりしてきたらしく


「…起きた」


ぽつりと呟いた。


「太公望が起きた。…四不象ちゃん、太公望起きたよ!」


大きな声で四不象に呼びかける。から見て太公望の向こう側、太公望から見て自分の左側にいた四不象に。隣に四不象がいたことに、太公望は初めて気付いた。四不象とは、太公望を挟むようにして眠っていたのだ。の声で、はっと四不象も覚醒する。そして飛び上がると


「ご主人!目を覚ましたっスか!」


良かったっス、ようやくっス。と嬉しそうに言った。


「起きた…ということは、これは夢ではないのか?」


言うと、怪訝そうな顔では太公望を見つめた。


「…寝ぼけてるの?これは現実。いくら夢の中で修行してたからって、現実でしっかりしてもらわないと困るよ」


の答えに、太公望は眉根を寄せる。


「…何故わしが夢の中でやっていたことを知っておるのだ?というかどうしてここにおるのだ?」


これも夢だと思った原因。いるはずのないの姿。あぁ、と呟いて、はばつが悪そうに目をそらした。


さんは、ご主人とボクの帰りが遅いから迎えに来てくれたっス」


代わりに四不象が答える。周軍のことは楊ゼンが引き受けてくれた、と。老子の言った「迎え」とはのことだったのだ。合点がいき、太公望は心の中でなるほどと頷いた。


「…それでね、ここに来たら太公望も老子も寝てるでしょ?」


「太上老君」と呼ぶのは長いので、も呼称を使うことにした。老子、と。


「だからもしかして夢の中で交信でもしてるのかな、と思って私も寝てみたんだよ」


「はっきり言ってボクは呆れたっスけどね」


の言葉を受けてきっぱりと言った四不象に、は苦笑いを向けた。そして、夢の中で老子と会い、太公望がスーパー宝貝太極図をもらって修行をしているところを見たという。


「何故そのときわしを呼ばなかったのだ?」


迎えに来たのなら、そうするのが常であろうに。


「だって太公望、頑張ってたから」


当然のようには答えた。だから、ここで四不象と一緒に太公望が起きるのを待っていたという。


「…そうか。すまなかったのう。では周に戻るか2人とも」


「当然っス。何ヶ月経ったと思ってるんスかご主人」


「何ヶ月なのだ?」


「9ヶ月っス」
「9ヶ月だよ」


2人は同時に答えた。


「…9ヶ月!?」


太公望さ、起きたら絶対驚くよね。今起きても9ヶ月経ってるんだもん。

そうっスよねぇ。一体いつまで寝るつもりなんだか。

つい先日、を四不象はそんな会話をした。そして予想通り、太公望は大いに驚いた。


「9ヶ月って、んな、こんな場所で長話しておる場合ではないではないか!」


早く戻らねば楊ゼンに愚痴を言われる!
目に見えて慌てながら、太公望は羊の背中から降りた。もつられたように降りる。そして


「楊ゼンさんなら大丈夫だと思うよ」


別段、表情も変えずに言った。太公望は怪訝な顔つきをに向ける。そんな太公望の疑問を解決すべく、は続けた。


「楊ゼンさん、メンチ城で3ヶ月待ってくれるって言ったから」


周城からメンチ城まで凡そ6ヶ月。それから3ヶ月待つとすると、丁度9ヶ月。まさに今がその9ヶ月なのだ。


「あと二、三日待っても太公望起きなかったら、起こそうって四不象ちゃんと言ってたんだよ」


…あなたはまだ起きなくて良いの?
老子が夢の中で言った言葉。老子は分かっていたのだろうか。だから、今になって起こした。答えは分からない。老子は眠っている。太公望は太極図付きになった打神鞭と老子とを交互に見、小さく会釈した。


「よし、では戻ろう周軍の元へ」


太公望は四不象に乗る。続けても乗った。


「出発するっス!」


四不象は宙に浮いた。地面が遠くなる。


「太公望さん、スープーちゃん、さん」


突然、呼び止められた。少女の声。地上には、こちらを見上げる邑姜がいた。


「おお邑姜、世話になったのう」


「ありがとう邑姜ちゃん。お世話になりました」


「さよならっス!」


3人の言葉に、邑姜はふわりと笑った。


「いえ、また近いうちにお会いすることになると思います」


「…?どういうことだ?」


笑みを崩さぬそのままの表情で、


「詳しくは黙秘です」


「ぬー…」


告げた邑姜に、太公望は納得いかないと顔をしかめる。だがそれ以上待っても邑姜は答えを言わないだろう。そしてもう一度、邑姜の言葉を踏んだ上で別れを告げ、その場から離れた。頬に当たる風が心地良い。
はふと後ろを振り返った。羌族の村は、もうあんな遠くにある。緑色の中、白いテントが、ぽつりぽつりと丸い小さな点に見えた。


「…お腹空いたのう」


空の上、ぽつりと呟いた太公望の言葉はそれだった。なんとも力の抜ける。四不象は最早突っ込みすら放置した。は一拍置いてため息をつく。


「……そういうこと、言うと思ったんだよね。はい」


太公望に、何かを包んだものを、その布ごと渡す。手渡され、太公望はその布包みを開けた。


「…桃!」


「一昨日、暇だから四不象ちゃんとちょっと遠出して果物狩りしてきたんだよ。それの残り」


タイミングが良いというか、なんというか。世話になっているお礼に、邑姜やそのほかの羌族の人たちにも分けた。


「…とりあえず、飛ばすっスよ2人とも」


四不象の声と共に、肌に感じる風が強くなった。


































      


2005,09,06