赤い夕焼け色の中、不自然に羊が一カ所に固まっているのを見つけた。 「…なにあれ」 メエメエと固まっている羊たちは鳴いている。なんであんなに固まってるんだろう。首を傾げながら、は羊たちの方に足を向ける。と、その羊の群れの中から、見慣れた顔がひょいと出てきた。 「…四不象ちゃん!」 呼ぶと、四不象は視線をこちらに向けた。同時に、目を丸くする。 「…え、‥さん!?」 どうして、と四不象は顔いっぱいにそんな表情を浮かべた。 「なんでさんここにいるっスか?1人っスか?どうしたんスか?」 「えーと、太公望が遅いから来たんだけど。1人だよ」 いるはずのない人物の突然の登場に、予想通りの驚きを見せてくれた四不象に、は笑いながら近付いた。四不象もふわりと浮かんで羊の群れの上を横切る。 「スープーちゃん、どうかしました?」 テントの1つから、少女が出てきた。細身で、強気そうな瞳が印象的な少女だった。背丈はとほとんど変わらないほどである。「あ」と言って四不象はその少女に目を向けた。 「邑姜ちゃん」 「邑姜ちゃん?」 スープーちゃん。邑姜ちゃん。互いの呼び名から、どこかで知り合った同士なのだとすぐに理解は出来た。ただ、どこで知り合ったのかは分からないが。少なくともは、彼女とは今初めて会った。邑姜、と呼ばれた少女は四不象の隣にいるを見る。 「どなたですか?」 「あ、この人はご主人の…」 そこで、は四不象を制した。自分で言うよ、という合図の代わりに四不象に頷く。 「初めまして、太公望の妹弟子の、といいます」 そう言って、ぺこりと頭を下げた。 「邑姜です」 邑姜も、に向かって礼をする。そして頭を上げると、すぐに邑姜は切り出した。 「太公望さんの妹弟子、ということは、太公望さんにご用事なんですね?」 ここまでわざわざ来た理由。は頷いた。回転が速く、頭の良い子なのかなとは邑姜に対して思った。 「そうっス、さんがこんなところまで来たってことは、なんか大事な用事が…」 「大事な用事っていうか、メンチ城に周軍が着くまであと三十日もないのよ。で、太公望も四不象ちゃんもあんまり遅いから迎えに来たんだよ」 いや、迎えというか、正しく言うと催促に。早く帰ってこいと。 「でもよくここが分かったっスね?」 「あぁ…うん、とある情報で」 四不象に、は曖昧に笑った。 「太上老君には会えたのよね?」 は四不象に訊ねた。四不象はこっくりと頷く。 「太公望は?どこにいるの?」 言って、辺りを見回す。 「ご主人は寝てるっス」 「寝てる?何それ、夕方から寝てるの?ちょっと起こし」 「ご主人、起きないんスよ。ボクも困ってるっス」 四不象は呟いた。は、状況の理解に苦しんだ。どういうこと?起こしても起きない状態に太公望は陥っているのだろうか?しかし四不象と邑姜の様子を見ても、さほど深刻な状況でもなさそうに思える。 「…なんか、よく分からないけど、じゃあ太上老君は?ここにいるのよね?」 「老子も寝ています」 四不象の代わりに答えたのは邑姜だった。 「老子?」 「太上老君のことです」 なるほど、とは頷く。 「……って、太上老君も寝てる?」 「2人とも寝てるっス。あの羊の上で」 四不象は、先程が不審に思った、あの羊の群れを示した。はそれに近付く。 「……ぇ、え」 溜息のような声が思わず零れていた。羊の上には、変わった服、というか防具のようなものを纏った者が1人と、太公望がいた。2人とも、紛うことなく眠っている。防具のような者を装着している人は、顔の部分だけ透明で、顔は伺えた。若く、けっこう整った顔立ちをした青年のように見える。 「…この人が、太上老君?」 は羊の上で転がるようにして眠っているその人を指差した。邑姜は頷く。 「羊の上が老子の寝床なんです。今回も二年くらいは眠っていますね。なんと言いますか・・・彼は、他に類を見ないほどの怠け者なのです」 「二年…怠け者…」 は脱力した。三大仙人の1人、太上老君。残りの2人、原始天尊と通天教主からは全く想像出来ないような人が、三大仙人のもう1人として出てきたものだと、は呆れるべきか笑うべきか分からず、とりあえず太上老君をじっと見つめた。 「でも、なんで太公望まで寝てるの?」 は隣に浮かんでいる四不象に訊ねた。 「分からないんス。なんか老子さんが寝てることにちょっと怒ってたんスが、いきなり「わしも寝る」とか言い出して…」 それが二ヶ月前のこと。老子につられたように太公望も、二ヶ月間眠り続けているらしい。 「夢の中で…交信でもしてるのかしら」 は呟いた。眠り続けている太上老君と太公望。これまでに太公望が二ヶ月間もずっと眠り続けたなんて聞いたことも見たこともなかった。太上老君と会い、この場所で突然2ヶ月も眠ることが出来ているとなれば、思い付く可能性はそれしかない。そんなことが可能なのかどうかは分からないが、しかし、あるいは、もしかすると。 「…四不象ちゃん」 ぽつりと自分の名を呼んだに、四不象は顔を上げる。隣で、眠る太公望と太上老君を見つめるに視線を向けた。 「私も寝てみる」 夢合わせ 「……何言ってるんスかさんまで!」 「大丈夫、すぐ起きるから」 驚く、というよりはもはや呆れ顔を作った四不象を宥めると、 「長時間宝貝使いっぱなしだったから、ちょっと疲れたんだよね」 ごろん、と草の上に寝転がった。太陽を沢山浴びた草のにおい。 「ちょっと、さん。さん?」 何事だと言わんばかりにの腕を揺さぶり、四不象は顔をしかめていた。だがは起きあがろうとはせず、ひらひらと右手を挙げて四不象に向け振った。 「大丈夫ー」 そう言うは既に目を閉じていて。一つ、小さく息を吐いたかと思うと。 「寝ましたね」 邑姜はの傍に座り込み、の様子を確認して言った。早かった。 「さん……」 「よほど疲れてたんですね」 「だからってさんまで何で寝るんスか。前々から思ってたっスが、この2人はちょっとおかしいっス」 太公望とを示して、四不象はぶつぶつと呟いた。邑姜は小さく笑う。 気付くと、は真っ暗闇の中にいた。それでも自分の姿だけは確認できる。闇の中なのに、手に持つ宝貝も、自分の足も見えた。 「…夢かー」 夢の中で「これは夢だ」と認識出来ることはほとんどないのではなかろうか。しかし今ははっきりと分かる。先程まで、自分は羌族の村の、羊の群れの近くで四不象と邑姜と話をしていた。それから草の上に横になって、 「あなたも来たんだ」 暗闇の中、声が響いた。は顔を上げる。そして声のした方、後ろを振り返った。もしかするとこの闇は、闇ではなく、黒い色しかない空間なのかもしれない。自分よりも高いところに浮いているその人の姿も、一面の黒の中ではっきりと見えた。 「太上老君?」 が訊ねても、その人は特に何も答えない。だが眠る前に見た、防御スーツのようなものを着ていた人と同じ顔だ。太上老君その人であることは間違いない。 「あ、えーと初めまして。私は、」 「」 名乗る前に出てきた自分の名に、は目を丸くする。 「現時点、崑崙の道士で原始天尊の二番弟子。太公望の妹弟子にあたる」 は躊躇いがちにゆっくり頷いた。 「封神計画実行者である太公望のサポート役という立場についていて、宝貝はそれ、」 太上老君はの手にある羽衣を指差した。は太上老君を凝視する。 「…詳しいですね」 言うと、太上老君は目を伏せた。 「…じゃあ、おやすみ」 太上老君の次の言葉を待っていたは、一度目を瞬かせる。 「…は!?」 見ると彼は真っ暗の中、のいるそこから、に背を向け離れていっている。非常にゆっくりとした動作で。その間もこっくりこっくりしているのは、おそらく気のせいではないだろう。 「ちょっ、ちょちょっと待ってくださいよ!そこまで私のこと言っておいて、放置?放置ですか?」 は慌てて太上老君の後を追い、彼の服を掴んだ。 「…なに?」 めんどくさい、と言いたげに太上老君はを見た。目は微睡んでいる。放っておけば何秒もせぬうちに眠ってしまうだろう。 「なに、じゃなくて、そこまで分かってるんなら私がここまで来た理由も分かってるんでしょう?」 寝るな目を開けろ、とは彼を揺する。 「ああ……太公望?」 「そう!太公望です。太公望はどこですか?」 一語一語を大きな声で言いながら、は訴えた。 「太公望なら、あそこ」 太上老君の一言が切っ掛けとなった。周りの闇が、まるで太陽が昇り始めたときの霧のように晴れていく。視界が開ける。は太上老君と共に、空に浮いていた。 「‥う、わ」 青空と、高い山。真っ白い煙が出ているということは、火山だ。遠くには、高い木の葉を食べている、少し首の長い、見たことのない動物。地響きのような大きな足音がどこかで響いている。なんだここは。 「ここ何ですか、ていうか見たことない植物とか動物とか‥、寝ないで下さい!」 は再度彼を、両手を使って揺さぶった。太上老君はうっすら目を開ける。 「太公望は、どこで、何を、してるんですかっ?」 「……」 詰め寄るに、無言で、太上老君はの後ろを指差した。太上老君の服を掴んだまま、は後ろを振り向く。遠くで、轟音と共に大きな木が倒れた。土煙が舞い上がる。目を凝らすと、大きな鋭い目を持つ動物が、何かを追いかけているのが確認できた。その「何か」は、どう見ても太公望。 「……何、何だあれ」 「修行」 ぽつりと太上老君が言った。 「修行?」 は聞き返した。小さく太上老君は息をつく。眠そうだ。 「太極図をあげたから」 「太極図。…って、スーパー宝貝の?」 こくり、太上老君は頷いた。 「協力しないなら、なんか寄こせって言ったからあげたんだよ」 「…寄こせって…。というかなんでほいほいスーパー宝貝渡せるんですか」 「だって使わないし」 は脱力した。大きくため息をつく。 「太上老君は、協力してくれないんですか?」 は彼を見上げる。太上老君はだるそうな目をに向けた。 「封神計画。妲己を倒し、その支配を絶つこと。道標を外れる、人間の自立」 言って、彼は目を閉じた。また寝る気かと一瞬は思ったが、予想に反して太上老君は言葉を続けた。 「妲己を倒しても人間が幸せになるとは限らないよ。きっとまたいつか同じようなことが起こる」 皇帝、独裁者、大きな国、争い。今この闇を抜け出しても、いつまた同じ闇が襲いかかるか。 「時代が変わっても、人間の本質は変わらないからね」 太上老君は淡々と喋った。 「…でも、何もしないよりはずっとましです」 言葉を紡いだ太上老君を見つめて、はゆっくり言った。 「今のこの現状を、少しでも変えられるのなら。私は、未来に責任を持つことは出来ないけど、その未来に繋げることは出来る」 太上老君は目をゆっくりと開けた。じっとを見る。けれどその目は、をではなくて、どこか遠くを見ているようだった。 「…あなたと太公望は、どこか似ているね」 ぱちり、とは瞬いた。小さく首を傾げる。 「それで…太公望は太極図に慣れるための修行、ってわけですか?」 あなたはとりあえず協力してくれないみたいだし。は言った。 「まぁ、そういうことだね」 「…夢の中なのに?」 は眉根を寄せた。ふ、と太上老君は笑う。 「スーパー宝貝を使うこつっていうのは、まず「使えるという自信」を付けることだから。イメージ・トレーニングってやつだよ」 「はぁ…睡眠学習みたいなものですか?」 「そんなものかな。まだ全く使いこなせていないみたいだけどね」 そう言って、太上老君は欠伸を1つ。そして眠いと呟いた。 「太公望がスーパー宝貝をねぇ…」 眼下で必死に、大きな生き物と戦っている、というか逃げている太公望。 封神計画を言い渡されるまでは、宝貝も持っておらず修行すらさぼっていた。それがある日計画の実行者として任命され、霊獣と宝貝が与えられ人間界へ降りた。頭が良いのは知ってたけど、力は知らない。自分と、同じくらいかな程度に思っていた。封神計画を任されてからというもの、色々あって、沢山の生涯にぶつかった。でもそれを全て乗り越えて、彼はどんどん強くなっていったと思う。精神面も能力面も、両方とも。 「…遠くなったなぁ」 は、小さく呟いた。隣では太上老君が寝息を立てている。 もう、追いつけないだろう。 「太上老君」 は太上老君の肩を叩いた。うっすら、彼は目を開ける。 「…なに?まだ何かあるの?」 は首を左右に振る。 「私、起きますね。ありがとうございました」 言うと、太上老君は瞬きした。 「太公望を連れて行くんじゃないの?」 「いいえ。太公望頑張ってるし、私、待っておきます。太公望が起きるまで」 に、太上老君は「そう」とだけ返した。 「それじゃ、さようなら」 「あぁ…うん、おやすみ」 太上老君にとって「さようなら」と「おやすみ」は一緒のものなのだろうか、とは小さく笑いながら、その場に別れを告げる。目を閉じて、足を一歩踏み出すと、 視界いっぱいに広がったのは、真っ青な空だった。白い雲も幾つか浮かんでいる。ゆっくりと、は上半身を起こした。眠るときは草の上に寝転がったはずなのに、なぜか羊の上にいた。あの、羊の群れ。静かなその場で、羊のメエメエ鳴く声ばかりが絶えず響いている。 「あっさん起きたっスか!」 「四不象ちゃん」 すぐ傍にあった家の中から四不象が出てきた。邑姜も一緒だ。 「もう昼なんだね。何時間寝てたんだろう私」 「何時間って…一週間以上は寝てたっスよさん」 「一週間!?」 思わず叫んでいた。一週間。まさか、あんな短時間で一週間?あの夢の中は、一体どうなっているんだろう。 「それで、ご主人とか、夢の中で会ったり…出来たんスか?」 夢の中で交信でもしてるのかしら。眠る前にが呟いた言葉。そんなことがあるのだろうかと思っていた。そして、四不象は未だに思っているはずだ。は微笑む。 「うん。いたよ、太公望。太上老君にも会ったわ。夢の中でも寝てたけど」 そう言うと、邑姜は「そうですか」と言って笑った。 「…え、会えたんスか?夢の中で?」 「太公望は直接会ってはないけどね。でも太公望、頑張ってた」 言って、は笑う。 ごめんなさい楊ゼンさん。すぐに太公望を連れて帰ることは出来そうにありません。 は心の中で呟いた。 戻 前 次 2005,09,06 |