進軍を開始して約五ヶ月が経った。時間で言えば、後一ヶ月ほどでメンチ城に着く。その間も続けていた修行。そして待つ、太公望の帰り。
しかし、


「遅いと思う」


眼下で歩き続けている兵士達を眺め、は呟いた。修行も一時休憩にし、岩山の上、広がる景色を眺めていた。隣で黙って座っていたがぽつりと呟いた言葉の真意を、楊ゼンはすぐに理解できた。


「…師叔、ですか?」


は答えないが、無言は肯定と取れた。の様子に楊ゼンは小さく笑う。


「確かに遅いわよねぇ、太公望!」


の後ろから蝉玉が言った。そうして、の隣に腰を下ろす。腕にはいつものようにしっかりと土行孫を抱えている。


「どこで何をしてるのかしら」


そんなに三大仙人って探しにくいの?


「…太上老君って人は、どこにいるのか、見当も付かない人らしいからね」


ぽつりぽつりと、楊ゼンが言う。納得いかない、という顔で蝉玉は眉根を寄せる。


「でもさー、あと少しでメンチ城なのに、このままじゃ太公望間に合わないじゃない」


もっともな意見だった。周城を出て、五ヶ月と少しが経過した。実質、このままのペースで行けばメンチ城に到着するまで30日も掛からないだろう。そのとき突然、はその場にすっくと立ち上がった。


「決めた」


そして、そう一言。視線は真っ直ぐ、遠くを見つめたまま。


「…どうしたのちゃん?」


さん?」


訝しげな表情で、蝉玉と土行孫、楊ゼンもを見上げた。


「私、太公望探しに行く」


ひゅるり、と風が吹いた。以外の3人は、目を丸くして。


「探すって…」


呆けた顔で、蝉玉が呟く。


「…どうやってですか?」


沈黙の後、次に口を開いたのは楊ゼンだった。そこでようやく、は正面を睨むように見つめていた顔を、楊ゼンに向けた。

























かけひき
























進軍を続ける兵士達から離れて数十分。風のながれる空にはいた。




一時間ほど前のこと。


「探すって…」


「…どうやってですか?」


呆けた顔のままの2人には小さく笑って、口を開けた。


「実はね、あることを聞いたんです」


「あること?」


楊ゼンから目を離し、蝉玉の方を向いては頷く。


「それを使えば、太公望の居所、もし太公望が既に太上老君のところにいるのなら両者の居場所が分かるかもしれない」


蝉玉はますます首を傾げた。


「このままじゃいくらなんでも太公望、間に合わないでしょ」


一国の軍師が遅刻なんて、情けないわ。


「それはとても助かるんですが…師叔の代わりは一応あなたですよ。あなたが出ていくとなると、どうするんですかその穴は?」


言われ、は表情を曇らせた。


「…実は、楊ゼンさんに、お願いしたいんですが」


遠慮がちに、は楊ゼンを見る。急に出された自分の名前に、楊ゼンは驚く。が、すぐに笑顔になった。


「…もう、そう決めたんでしょう?良いですよ、引き受けましょう。手掛かりがあるんですね?しっかり師叔を探してきて下さい」


瞳に明かりが灯る。


「ありがとうございます」


大きく頭を下げた。姫発にもその旨を伝えると


「おう!メンチ城の城主は仙人らしいしな、侵攻するまでには太公望に帰ってきてもらいてーし、任せたぜちゃん!」


それまでは、こっちは任せとけ。そう、力強く言ってくれた。


さん、いってらっしゃい!」


が太公望を探しに行くという話をすぐさま聞きつけ、武吉も見送ってくれた。


「もしかするとさんも師叔をすぐに見つけられないかもしれない。メンチ城では、3ヶ月だけ待っておきます」





「3ヶ月、か」


楊ゼンの、待つと言った期間。メンチ城まではあと半月ほど。太公望を探してメンチ城まで連れて行くまでに用意された時間は、3ヶ月半。は高い岩山のてっぺんに着地した。風で羽衣が揺れる。


手掛かりを掴んだ。太公望を探す、というよりも、太上老君を探すのに役立ちそうな手掛かりを。ぐるりとは周囲を見渡す。風が吹くばかりのそこには誰もいない、何の気配もしない。地上よりも高い場所、風は少しだけ強い。見上げた空には鳥が飛んでいるが、のいる場所よりもずっと高く遠い。は、すう、と思い切り空気を吸い込んだ。そして、それを今度は一気にはき出すと同時に


「申公豹ー!」


大きく呼んだ。もとい、叫んだ。


「…近くにはいないか」


何の気配もしない。もう一度息を吸う。


「申 公 豹 !」


今度は区切って、やはり大きな声で。そう都合良くいくはずがないことは分かっている。


黒点虎は千里眼を持っていたはずだ。この声が申公豹本人に聞こえなくとも、黒点虎は何かを感知するかもしれない。周軍から1人離れ太公望を探しに出た自分の行動に興味を持ち、近からず遠からずの場所でこちらの様子を見ているのではないかと考えたのだが。生憎そううまくはいかなかったようだ。だったら、呼ぶまでだ。名を呼べば、少なくとも黒点虎は気付くはずだ。


「…こうなったら、太公望から聞いたあれね」


は一度、深呼吸をする。すって、はいて、もう一度大きく吸い込むと、


「申公豹ー!」


の声は風に乗って飛んでいく。さぁ、届け。


「服が、悪趣味ー!」


段々、大声を出すのが楽しくなってきた。お腹の底辺りから、力一杯声を張り上げるのも、ストレス発散に良いかもしれない。


「センス、最低ー!」


「お黙りなさい」


「うわぁっ!」


背後からの突然の声。大声を出すのに夢中だったのか、気配に全く気付けなかった。振り返ると、黒点虎と申公豹の姿。より少し上に浮いている。申公豹の表情は穏やかとは言えない。見るからに不機嫌そのものだ。


「…うん、あの、ごめんなさい」


一歩後退し謝ったに、申公豹は大きくため息をついた。


「先程の台詞、以前にも耳にしたことがあるのですが」


「あ、さっきの、太公望が初めて申公豹に会ったときに言ったら、ものすっごい怒られたって言って」


「分かっています」


の言葉は途中で、申公豹の強い声に遮られた。


「ねえ、は太公望を探しに行くんだって?」


「う、うん、そう」


黒点虎にはこくこくと頷いた。


「太公望は太上老君のところにいますね」


は申公豹を見上げる。


「それで、今回あなたが私を呼んだのはどんな理由ですか?大方の予想は付きますが」


申公豹はを見下ろしながら、対するは申公豹を見上げたままゆるく笑った。


「太上老君の居場所、教えてほしいの」


申公豹は、やれやれと呟きながら、再びため息をつく。


「なぜです」


「黒点虎ちゃんは、千里眼を持ってるでしょう。原始天尊さまも持ってるけど、あの人はお年らしいからもう見えないらしくて」


だけど黒点虎ちゃんは違う。太上老君の居場所、見えているはず。申公豹は何か言おうとして口を開いたが、すぐさま言葉を続けたによってそれは遮られる。


「それに申公豹、あなたは太上老君の弟子だそうね」


思いも寄らない言葉が、の口から出てきた。申公豹はを見つめる。


「ただの三大仙人の1人としてなら、あなたも太上老君という人のことはどうでも良いかもしれない。でも太上老君はあなたの師匠。師匠の居場所なら、知ってるんじゃない?」


太上老君は、申公豹の師にあたる。原始天尊から聞いた。太公望が太上老君を探しに出た次の日のことだった。太上老君とはどういう人物なのか原始天尊に訊ねたところ、そんな情報まで教えてくれた。そりゃ申公豹だって道士なのだから、師匠くらいいるだろうとは思ってたけど。太上老君なんだ。は、思い切り虚を突かれた感じだった。


「…どうするの申公豹?」


ぽつり、黒点虎が言った。


「…なるほど。ですがそれは、私があなたに太上老君の居場所を教える、という理由にはなりませんよね」


「借り」


の一言で、申公豹の表情から笑顔が消える。


「あなたは借りがあると言った。そのために、早く事を進めてもらいたいって」


私が太上老君のところへ太公望を探しに行っても、事は早く進まないかもしれない。でも、進むかもしれない。じっと、も申公豹を見る。期待の目で。その目を見て、三度目のため息を、申公豹は小さくついた。


「…分かりました。良いですか、一度しか言いませんからね」


「ありがとう」


ぱっとは笑顔になる。


「ここからずっと東へ行きなさい。そうすると羌族の村があります」


「…羌族?」


太公望出身の部族。


「羌族の村に、太上老君がいるの?」


「東ですからね、分かりましたか?」


の質問には答えず、申公豹は念を押した。


「…はい」


これ以上あれこれ聞いてもきっと答えは返ってこないだろう。は大人しく、頷いた。


「用件はそれだけですね?」


ふわりと、黒点虎と申公豹は更に上空へ上昇する。


「あ、申公豹」


は見上げた。青い空を背景にする、黒点虎と申公豹を。


「あの、ありがとう。それと、借り、早く返せると良いね」


笑顔で、それだけ言った。申公豹は答えず、黒点虎に「行きましょう」と伝える。黒点虎は素直にそれに従い、のいるそこから離れた。はなんとなく、ぼんやりと申公豹と黒点虎が見えなくなるまでそこで見送った。



「借り、早く返せると良いね、ですか…。人ごとのように」


申公豹は呟いた。


「でもさ、にとっては人ごとだもんね」


黒点虎は相づちを打つ。そして申公豹は、四度目のため息。


「申公豹ため息多いね今日」


「……」





ここからずっと東へ行きなさい。申公豹の言葉通り、は東を目指した。山、河、草原を越え、ひたすら東を。


それにしても、申公豹が太上老君の居場所を教えてくれて本当に良かった。本当は、申公豹が教えてくれるかどうか、自信がなかったから。もし無理だった場合には、大人しく周軍の元へ帰ろうと思っていたのだ。


ようやくそれらしい村に着いたとき、既に太陽は西の空に沈みかけていた。空は赤い。周軍から抜けてきたときは昼を少し過ぎた時間帯だった。やっぱり、長時間ぶっ続けで空飛ぶのはさすがに疲れるな。は、すとんと草地の上に着地して、息をついた。辺りを見渡す。白い、テントのような小さな家々、木で作られた柵。緑に困ることだけはないであろう、高原のような場所だった。高く長い山や建物のないその場所は、夕焼け空が近くに感じられた。空を遮るものは雲ばかり。


「ここに…太公望と、太上老君が」


足を踏み出すと、さく、と草の音がした。


































      


借り、というのは連載21話に出てきます。
誰も覚えていなさそうな設定。
余談ですが、借りの謎は、ずっとずっと後で明らかになります。



2005,09,06