は大きく腕を伸ばし、息をついた。目の前には沢山の書物。長々と文章の書かれた巻物、そして記帳。


「…あー…」


疲れた。端の方にそれらを避けると、机に突っ伏した。なんとか完成した予定表。顎を机の上に載せたまま、はそれを見直す。


「ここから‥次の関所までが一ヶ月。で、次が…二ヶ月。最終的にメンチ城に着くのは…凡そ六ヶ月後」


それまでの進軍。援護。後方支援。細かい動きや、その間の作戦など。予想される全てを書き終えた。そこで丁度、扉を叩く音が響いた。


さん、どうですか?」


楊ゼンだった。は机から顔を上げ、たった今まで見直していたその記帳を楊ゼンに見せる。


「終わりました…予定表」


楊ゼンは受け取り、中身を見ると目を丸くした。そしてそのままの表情でを見つめた。


「…もう出来上がったんですか、これが」


「あー、はい、とっても頑張りました」


とっても、の部分を強調したに、楊ゼンは笑みを浮かべる。そうして、もう一度楊ゼンはそれに目を通し、ぱたんと閉じた。後でもう一度見直しはするが、どうしてこの人が太公望の補佐としてやっていけているのか、分かった気がした。


「…そういえば、今回はさん、どうして太公望師叔と一緒に行かなかったのですか?」


太公望は、三大仙人の1人である太上老君を探しに出ている。はその穴を埋めるために残ったのだとは聞いていた。しかし、これまでに太公望とが本当に別々の行動を取ったことは全くと言って良いほどない。仙界大戦のときには太公望と離れ楊ゼンと共に行動したが、あれも「金鰲と戦う」という同一の目的があった。太公望もも、それ以外の仙道も全員同じ方向に向かっていた。だが今回は、太公望は太上老君を探しに出、は残っている。太公望がどこかに行くときは、必ずも共に行っていたはずなのに。この問いに、はすぐに楊ゼンの疑問の中身が分かったらしく、早々と答えてくれた。


「今回はですね、相手が敵じゃないからですよ」


「…敵じゃない?」


は頷く。


「太上老君は敵じゃないでしょう?今はどこにいるか分からない、謎の仙人です。でも敵じゃない」


太公望は封神計画の遂行者。計画において最重要人物である。そんな人物に万が一のことがあってはならない。はそんな太公望のサポート役。サポートというのは、太公望の手助けをするということでも勿論あるけれど、敵と出会したときのために必要な立場でもある。「太公望に何かあれば代わりになる」という、そんな立場なのだ。


「敵じゃないから危惧する必要もないし、私がついていく必要もない。それよりもこっちに残って太公望の代わりをする方が有益でしょう」


「…なるほど」


合点がいく。


「ほんと言うと、周公旦さんが怖いっていうのもあるんですけどね…また何ヶ月も太公望と私が揃って留守にするなんてことになったら」


ぽつりと言ったに、楊ゼンは笑った。


「じゃあ僕は、この予定表の内容をまずは周公旦さん姫発くんにお伝えしてきますね」


「ありがとうございます」


は椅子に体を預けたまま、楊ゼンに笑顔を向ける。楊ゼンは記帳を右手に扉を開け、そこで急に思い出したようにの方を振り返った。


「これは僕の提案なんですが、道士たちは少々修行不足が目立つので、稽古をつけようと思うのですが、どうでしょう?」


言うと、の瞳がぱっと明るくなった。


「良いですね、楽しそう!久しぶりの修行」


「昨日はさん、皆を集めて宝貝なしの対抗戦をしていたそうですね?」


「え…なんでそれを」


表情が引きつる。周公旦さんにしかばれてなかったはずなのに、の顔にはそう書いてあった。楊ゼンはふっと吹き出した。


「いえ、別にそれを咎めてるわけではないですよ。ただその対抗戦っていうやつも、修行の一環としてさんが提案したものだったのではないかと思いまして」


は一瞬、目を丸くして驚いたがすぐに笑った。


「まさか。あれはただの遊びですよ」


「そうですか」


予想通りのの答えに笑いを隠しながら、楊ゼンは小さく頭を下げて部屋を出た。

























日景日和
























ちゃーん!楊ゼンが稽古するから道士はみんな集合だって!」


寝台に寝転がり本を読んでいたに、勢いよく窓を開けて蝉玉が呼んだ。


「え、もう?」


さっき昼ごはん食べたばっかりなのに。ぱたん、と読んでいた本を閉じる。


「なーんか張り切っちゃってるのよ楊ゼン。じゃ、早く来てねー」


殷に向けての進軍は明日からだ。予定は整え終わったために、これといってやることはない。全ての時間、修行のために当てるのだろうか。


「…ま、いいか」


仙人界にいたときは毎日やっていた修行も、封神計画に携わってからは全くやっていない。まさかこんなに早々と修行を始めるとは思っていなかったが、どうせ他にやることもない。太公望もいないし、暇だもんね。宝貝を手に取ると、は部屋の扉を開けて、


「……ん?」


ぴたりと止まった。今の考えはおかしい。まるで、太公望がいないから暇、のようではないか。確かに今まで太公望と離れたことはほとんどなかったけれど。


「……」


なに考えてんの。


「そんなことより今は修行!」


呟くと同時に、扉を閉めた。思った以上に勢いがつき、大きな音が廊下中に響いたが。




「じゃーまずは誰からいくのっ?」


周城から少し離れた岩山の上。楽しそうに蝉玉が言った。集まった道士は全部で6人。天化だけは天祥と一緒に周城に残っている。ナタクも未だ修理中だ。修行、もとい稽古は、まず一対一ずつですることになったところだ。


「平等にじゃんけんでいいんじゃねーか?」


雷震子の発案で、じゃんけんで一番に負けた者対二番に負けた者、ということになった。


「誰と当たっても恨みっこなしだかんな!」


「じゃんけんかー、私弱いんだよなー…」


ぽつりと呟いたは、皆の掛け声と共にパーを出した。そして案の定、他のメンバーはチョキ。


「…本当に弱いのねちゃん」


「うわあ、やっぱり…」


一番手か私。ため息をついたの前で、次に負けたのは楊ゼンだった。


「えええ、楊ゼンさん!?うそ、私、楊ゼンさん!?」


狼狽えながら、楊ゼンと自分とを交互に指差し、蝉玉と土行孫に訴える。


「頑張ってちゃん!」


ちゃーん!応援してるぜ!」


「ハニー!鼻の下伸ばさないのっ!」


しかし今を応援した土行孫は純粋に声援を掛けただけだった。どうも最近の蝉玉は過剰に反応しすぎているような、とは頭の片隅でそう思った。


「宜しくお願いします、さん」


そう言うやいなや、楊ゼンはその場から数歩離れ、配置に付く。


「だって、楊ゼンさんって天才道士だよ?」


は周りのメンバーを見回した。


は原始天尊さまの二番弟子なんだろ?しっかりしろよ」


葦護にぴしゃりと言われ、は言葉に詰まった。宝貝を握り直すと、渋々、ため息をつきながら楊ゼンと向かい合う。


「はい、じゃーはじめ!」


蝉玉の元気よく左手を高く挙げたのが合図、2人は宝貝を構える。の方は、幾分浮かない顔だ。そして、先に動いたのは楊ゼンだった。三尖刀を空にかざすと、一気に振り下ろした。衝撃波がへと向かう。は宝貝を右手に持ったまま左から右へ振り、その衝撃波を一気に弾いた。衝撃波と、風がぶつかり合う音。小さく、楊ゼンは微笑む。瞬間、背に雷震子の翼が現れる。変化の術で出したものだ。楊ゼンは空高く飛び上がると、上空でナタクの乾坤圏を出すとに向けた。


「乾坤圏…」


楊ゼンの変化の術で出された乾坤圏。ナタクの持つ本物であったなら躊躇っただろうが、これは本物ではない。は宝貝に力を込める。の宝貝から発生した風の渦は乾坤圏を巻き込み、そのまま乾坤圏は粉々に砕けた。


「破壊する風と…跳ね返す風か」


楊ゼンは呟いた。の宝貝の能力。主に中距離戦や遠距離離でその力を使える宝貝だろう。どんな攻撃をしても跳ね返したり、消滅させることが出来る。


「…だったら」


楊ゼンは一瞬で自分の姿を天化に変えた。手には莫邪の宝剣。中距離・遠距離での攻撃が効かないのなら、接近戦に持ち込む。ギン、と、宝貝と宝貝がぶつかる音。剣形宝貝対杖形宝貝だが、の宝貝も斬られることはなかった。だがやはり楊ゼンの力の方が強い。押される。が、急にの表情は笑顔に変わった。


「…え」


楊ゼンが目を丸くした瞬間、の宝貝から大きな風が竜巻のように広がった。風の勢いで、楊ゼンは後ろに弾かれる。地面に叩きつけられるのを防ぎ、膝をついて着地したときはもう楊ゼンの姿は天化から元に戻っていた。


「…弾く力で、人そのものも跳ね返すのか」


楊ゼンは呟いた。


「すごいちゃん!」


「ありゃぁ、どんな宝貝使ったって効かねぇんじゃねーか」


どんな宝貝の技でも、消滅させるか跳ね返す。ただ、今のにそれが出来ないであろう相手は、申公豹や妲己などではなかろうか。スーパー宝貝所持者で、とてつもない力を繰り出してくるから。も、封神計画の手助けをするという形の中で、確実に強くなっていた。楊ゼンは両手を前に差し出した。と、そこに3つ、何かが現れた。部分変化で出したのだ。それは段々と大きくなっていき、


「いけ、花狐貂」


魚のような、鯨のような、魔家四将の一人が所持していた大きな動く宝貝。沢山のものを、その大きな体の中へ飲み込んでいく。その花狐貂が今は3つ、へと向かっていった。


「…花狐貂。…楊ゼンさん、本気だなぁ…嫌だなぁ…」


呟く声は誰に届くわけもない。はくるりと踵を返し、花狐貂たちから逃げるように走った。これほどまでに大きいものと対峙したのは、今までに一度しかない。花狐貂のときは、負傷してしまっていたためにこの大きな宝貝とは戦わなかった。対峙したことがあるのは、あの雲霄三姉妹と戦ったとき、三人が出した二匹の龍。あれは宝貝が作り出したものだった。だから、とても大きな龍だったけれど、なんとかの宝貝で消滅させることが出来た。雲霄三姉妹も、まさか消されてしまうとは思わなかったのだろう、それほどまでに最初の龍には、脅し程度で力を込めてなかったのだ。


しかしこの花狐貂は宝貝そのもので、物体である。出来るにしても、先程の乾坤圏のように破壊することだけ。だが花狐貂は大きい。その上3つも向かってこられては。

細長い岩山が立ち並ぶ中の、それらの1つの上。一番、頂上の面積が広い岩山をまずは選んでいた。とは言っても端から端までそれほど距離はない。とりあえずは走った。なんとか回避方法を探さねば。


「おっと、そうはいきませんよ」


楊ゼンは再び変化の術を使った。姿が変わる。


「…なに、」


は走りながら振り返る。花狐貂の合間からその姿が見えた。あれは、確か四聖の


「……なんだっけ」


名前は忘れた。だが能力は覚えている。そうだ、たしか、とそこまで考えたところで大きな音をたてて、地面が揺れた。同時に、の進行方向と左右に巨大な土の壁が立ちはだかる。両手に付いた宝貝で大地を操る技を使っていた。後ろからは花狐貂、前と左右には土の壁。逃げ場はない。は前方の壁に背を向け、花狐貂に向き合った。3つの花狐貂は、変わらず大きな口を開けて向かってくる。は宝貝を、再び強く握った。


凄まじい音と共に、花狐貂が土の壁に激突した。空高く土煙が上がる。がどうなったのかは、まだ見えない。


「花狐貂を破壊しなかった、ということは…」


花狐貂の中か。には、仙界大戦で張天君と楊ゼンが戦った際、半妖体になった楊ゼンが変化した大量の砂の中でも耐え抜いたという実績がある。花狐貂の中でも、あのときと同じように風を使って体を守っている可能性が考えられる。楊ゼンは変化を解き、花狐貂へと近付いた。


と、


「油断は禁物ですよ、楊ゼンさん」


背中に何かを押し当てられた感触。楊ゼンは動きを止めた。まさか、と思った。いつの間に。背に突きつけられているのは、の宝貝。それの尖端。


「私も空飛べるってこと、忘れてたでしょ」


の宝貝。今は真っ白な杖の形だが、羽衣形にも出来るのだった。そしてその形の時は、風の力で空を飛べる。


「…花狐貂がぶつかったときの土煙に紛れて、ですか」


一瞬のうちには宝貝を羽衣形にし、空に飛び上がっていたのだ。そして楊ゼンの背後に回り込んだ。


「‥、…強く、なりましたね。さん」


「ありがとうございます」


は宝貝を下ろした。楊ゼンはの方を振り返る。


「…ただ、私の最大の弱点は、相手を即座に倒すことが出来ないってことですね」


自分から仕掛けることが出来ない。相手が繰り出してきた攻撃を、無効化するか、あるいは跳ね返してそれを自分の攻撃とするか。あとは、自分の身や味方を守る。そして風で敵を遠ざける。


「相手の攻撃を跳ね返すときも、もう少し私、力を強くしないと相手にはたぶん効きませんし」


守りの宝貝なんだから、仕方ないんですけど。


「…つーかよ、おまえらの戦いって決着つかねえだろ」


無言で2人の戦いを見ていた他のメンバーは、ようやく我に返る。そして雷震子がまず、そう言った。


「楊ゼンは変化の術で色々出すし、は跳ね返したりで、ずっと終わらねーぞ」


「…そういえばそうだね」


今更ながら、気付いた。


「じゃあ次の2人、始めようか?次は誰なの?」


「ハニーと葦護よ!」


頑張ってハニー!蝉玉は片手を振り回し叫んだ。




守りの宝貝なんだから、仕方ないんですけど。


の言った言葉を楊ゼンは、特に理由もなく思い出していた。守りの宝貝。はどうしてそんな宝貝を使っているのだろうか。自ら攻撃を繰り出すことは出来ない。仙人界中を探せば、攻撃を出来ない宝貝くらい幾つか見つかるだろう。しかしは、その宝貝しか持っていないのだ。どうしてだろう?楊ゼンはを見た。は決して、戦いに向いていないわけではないはずだ。幼い頃に両親を殺されたから、自分がその殺す側になりたくないために攻撃宝貝は使わない。そういう理由を、自身からだったか、はたまた誰かから聞いただけだったか、耳にしたことがある。だが封神計画というものに携わる以上、誰かを封神する、つまり殺すということについては覚悟しているはずなのに。守る技を洗練させるために、その宝貝しか与えられていない、とか?


「…予想ばかり並べても、仕方ないか」


楊ゼンは息をついた。


その後、これから当たるだろう敵は強大な相手ばかりで、ちまちま一対一でやっていても意味がない、どうせだから、メンバー内で強い道士1人対全員でやった方が良いのではないかという考えに達し、次からはそうすることになった。チームワークなどの能力を上げるべきだということだ。


「よく考えるとそうですよね。妲己相手に1人で戦うなんて、無理だしまず有り得ないし」


「…まぁ、進軍の途中でも修行の時間は入れようと思ってますから、まだ間に合います」


なんで早く気付かなかったんだろう、と腕を組むに、楊ゼンは苦笑した。


































      


一度、書いてみたかった修行の場面。


2005,09,05