十二仙も、十仙が封神された。武成王も封神された。沢山の仲間を失った。もう終わらせなければならない。 聞仲を乗せた黒麒麟は、金鰲島の頂上に着く前に力尽き、動かなくなった。しん、とした中、聞仲は1人、何を目指すわけでもない。目指すとすれば、それは人間界の殷ではあるが。ふらふらと覚束無い足取りで歩いていた。四不象は、聞仲の行く手を阻むようにして、金鰲島の上に降りた。太公望とも四不象から降りる。 「とスープーは…ここで待っておれ」 頷いた2人を確認し、太公望は打神鞭を手に、歩いてくる聞仲に二、三歩近付く。 「聞仲」 聞仲はそれまで、太公望たちの存在には気付いてなかったようだった。はっと、顔を上げた。太公望と、四不象の姿が、その何かに耐えるように厳しく歪んだ目に映る。 「最後の戦いだ。禁鞭を取れ」 空には、沈む太陽が浮かんでいた。 終止符 聞仲は口元にうっすらと笑みを浮かべた。その笑みが何を現しているのかは分からなかった。聞仲の禁鞭が宙を舞う。 「太公望、私は以前おまえに言ったことがあったな…理想を語るには、それに見合う実力が必要だと…」 その全てが、太公望に向かってくる。鋭い音と共に。 「万が一にもこの私を倒せたら、語る資格を与えてやろう」 太公望は神打鞭を強く握り、風が、鞭を弾いた。その風は聞仲を掠める。鋭い風は通りすぎ、遠くへ飛んでいった。 「聞仲、おぬしも殷も老いたのだ。いま人間界に必要なのは若き風であろう。…おぬしは消えよ」 太公望に、聞仲も鋭い睨みを返し、反撃を繰り返す。 「そこが夢想だというのだ。そのような幼く浅い思想を持ったお前に…人間界は渡せん!」 太公望の風をすり抜けた鞭が、太公望に当たる。 「太公望!」 四不象が声を上げ、は体を強張らせた。凄まじい音と衝撃。金鰲島上部の一部を、禁鞭が破壊した。 「太公望、無茶すんじゃねぇぜ!オメーは今ほとんど体力が残っちゃいねぇんだ!」 「太公望…」 ぽたりと、血が太公望の頬を伝って落ちた。は表情を歪めたまま、それを見つめることしかできない。 「それは向こうも同じだ。わしはなんとしても、いかなる手を使ってでも、あやつを乗り越えねばならぬのだ」 それは分かっている。分かっていた。だけど、 「心配は無用だ。わしは大丈夫だよ」 と四不象に、小さく笑顔を見せた。は羽衣形に変えた宝貝をぎゅっと握りしめる。 再び、風と鞭がぶつかり合う。振動と音が絶え間なく続き、思わずは四不象の手に掴まっていた。何かのすぐ傍にいなければ、不安でたまらなかった。 聞仲が禁鞭を振る。が、幾重にも分かれたはずなのに、それは太公望には当たらなかった。全て外れた。 「聞仲…?」 あれほどまでに正確に標的を捉えていた鞭が当たらない。 太公望は打神鞭を手から放した。地面に落ち、転がる打神鞭をそのままに、聞仲に向かっていった。そして、左手で勢いよく聞仲を殴りつけた。突然の衝撃に聞仲はよろめいたが、すぐに持ち直し、反撃を食らわせる。今までの宝貝での戦いぶりはどこにもない。ただ、殴り合うだけ。2人とも、すでにぼろぼろになっている。服も、体も。 「…滅茶苦茶だな…。だが…歴史を決める戦いなんざ、こんなものなのかもしれないな」 呆れたような眼差しでそれを見つめる四不象に、は黙って見つめていた。 と、そのとき聞仲がぐらりと体を傾かせ、地に膝を突いた。そして激しく咳き込む。足が体を支えられなくなった。 「…行こう、四不象ちゃん」 太公望の傍に。は四不象から手を放し、太公望のそばに駆け寄る。に促され、四不象はの後を追った。2人は太公望の後ろで止まる。 「…飛虎が死んだとき、気が付いた…。私が取り戻したかったのは、殷ではなく…飛虎のいる、かつての殷だった」 失ったときが戻ると、どこかで信じていた。そして、そんなことが叶うはずないと、本当はずっと分かっていた。遠いどこかを見つめるような目で、聞仲は言った。 「太公望よ…人間界はおまえにやろう。おまえの言う「仙道のいない人間界」を作ってみるがいい」 聞仲は手に力を込め、その場に立ち上がる。血がぱたぱたと数滴落ちた。真っ直ぐにその目は太公望を見つめていたが、実際には、どこか遠くを見ていたかもしれなかった。 「だが私はおまえの手にはかからない」 聞仲の後ろにはもう足場はなかった。崩され、絶壁になっているだけ。聞仲はぎりぎりのところまで後退した。太公望と向かい合ったまま。 「…おまえともっと早く会っていたなら…私ももっと、違う道が見えていたのだろうな…」 聞仲は笑った。嘲笑するような笑いだった。誰を嘲笑したのか。それは本人にしか分からない。 「さらばだ、太公望」 聞仲は足場だったそこを蹴った。静かで、全く1つの音もしない。聞仲は、深い底へ消えた。 「聞仲…」 太公望が呟いた。聞仲が消えた、暗く深い瓦礫の山のずっと下に、きらきらと光が見えた。それはやはり他のものたちと同じように、1つの大きな光になって、空高く飛んでいった。だがそれは、封神台とは別の方に飛んでいく。 「…なんだ?魂魄が封神台と別の方向に飛んでったぞ?」 四不象が飛んでいった魂魄を見上げる。なんだろう、ともそれを見つめていたが、服の擦れる音と、何かが自分自身での力をなくしてその場に落ちたような音にそちらを見て、 「・・た、太公望!?」 「太公望!」 太公望が、力無くそこに倒れていた。体力、精神力共に限界が来たのだ。目は閉じられ、ぐったりとした体は動かない。何度呼びかけてみても反応はない。 「ど、しよう、どうしよう、四不象ちゃん!」 「お、落ち着けって!とりあえず、他のやつらのとこ帰るんだ。魂魄が飛んでねえだろ、太公望は死んじゃいない」 原始天尊や、楊ゼン、太乙、天化。蝉玉や武吉も生きているはずだ。ここで慌てていても仕方がない。まず、みんなのところに戻ろう。四不象に言われて、は頬を両手で叩いた。 「そ、うだ…そうだよ、そうだね」 四不象は頷く。太公望を四不象の背中に乗せ、太公望が放った打神鞭を拾ってくると、も四不象に乗った。太公望を落ちないように支え、 「出発するぞ、」 「うん、大丈夫」 ふわりと、四不象は浮いて皆のいる場所を目指す。太陽はもう西の空へと沈んだ。東の空は暗くなっている。星も出始めていた。一体何日が経ったのだろう。この、仙人界での大きな戦いが始まってから。 太公望よ…人間界はおまえにやろう。 聞仲は、最後にそう言った。ずっと敵として向かってきたはずなのに、最後の聞仲の表情は、今までの全てを吹っ切ったような、それでいてどこか悲しくて、はなぜだか泣きたくなった。 「……、…泣いてんのか?」 静かで、一言も喋らないから。ただ、そこにいるということだけが分かっている。は俯いていた顔を上げ、一瞬驚いた表情を見せたが、 「…泣いてないよ。なんか…泣けない」 苦笑いのような笑みを浮かべ、はぽつりと言った。の答えに、四不象は少し首を傾げたが、それ以上は何も訊ねなかった。 崑崙山が見えてきた。半壊していて見るも悲惨な状態だが、しかし崑崙山であることに変わりはない。 「あっ!四不象だ!」 まず一番に気付いたのは武吉だった。戻ってくる四不象に、大きく手を振った。 「お師匠さま、さんもお帰りなさい!‥って、お師匠さまっ?どうしたんですか!?」 目を閉じ、死んでしまったように動かない太公望に、武吉は大慌てでに訊ねた。 「…気失っちゃって。太公望、頑張ったから」 きっと、誰よりも。心配そうに武吉は表情を歪ませていた。 「さん…聞仲は…」 武吉の後ろから、楊ゼンが聞いた。は黙って頷いた。 「そうですか…」 安心したように、楊ゼンはため息をついた。なのに、どこか、手放しで喜べない気持ちがある。蝉玉、土行孫、天化や天祥、生き残った崑崙の仙道たちは全員集まっている。 「太乙さん」 はその中から太乙を見つけ出すと、四不象に近付いてもらった。 「!無事だったんだね、おかえり」 太乙は笑顔で手を振る。 「太乙さん…金鰲島は、あとどのくらいもちますか?」 太乙は表情を曇らせた。 「…もって、後10時間ってところだよ」 10時間。仙人界が落ちるまで。下降を続け、不安定な動きを続ける金鰲島が地上に落ちるのは目に見えていた。金鰲島に体当たりをした崑崙山も、金鰲島と運命を共にする。 「そうですか…ありがとうございます」 今から10時間ほどということは、夜明け頃だ。太乙に頭を下げ、は四不象から降りた。 「原始天尊さまのとこ行ってくるから、太公望をよろしくね」 四不象に告げ、原始天尊と白鶴がいる岩場には飛び乗った。白鶴が顔を上げる。 「さん」 「…」 は一度礼をし、2人に近付く。原始天尊は飛来椅に座り、白鶴はその横に控えていた。 「聞仲が、封神されました」 一言、伝える。原始天尊はゆっくりと頷いた。 「すまなかった…一番大きかった相手を任せてしまって」 は苦笑して、頭を左右に振る。 「それは、太公望に言って下さい。私は見てただけですから」 原始天尊は何も言わなかった。 「金鰲島が…仙人界が落ちるまで、後10時間ほどだそうです。脱出の準備を整えておいて下さい」 告げると、は再度礼をして、そこからまた下へと降りた。そして四不象に乗る。もういいのか、と訊ねる四不象には頷いて礼を言った。 「太公望は、まだ起きないか…」 変わらず目を閉じたままの太公望に、は小さくため息をついた。 「さーん!」 武吉が走ってきた。そして下から見上げる。 「脱出の準備、着々と整ってます!脱出時にみんなは楊ゼンさんが変化の術で出してくれる花狐貂に乗るそうです!」 「そっか、ありがとう。武吉くんは?四不象ちゃんに乗る?」 「え?良いんですか?良いの?四不象」 「俺は別に構わねーよ」 ぱっと武吉の表情が明るくなった。 「じゃあ、お邪魔します!」 ぴょんと飛び乗った。空では星が瞬いている。 「これから…どうなっちゃうんでしょうかね…」 不安げな声で、武吉が呟いた。は顔を上げ、空を見上げた。 「…分かんないなぁ」 どうなるんだろう。分からない。 「…でも」 は、空から武吉へと視線を落とした。 「私たちは生きてるから。…死んでないから」 こうして、ここにいる。これからのことは分からないけど、今ここに生きているということは分かっている。これから先、どうなるのか。答えは分からない。 「役目を果たすまでは…死ねないから」 過ぎたものはもう元には戻らない。先へ進むだけ。 「…はい」 武吉は1つ、頷いた。 太公望が目を覚ましたのは、夜が明ける少し前だった。崑崙の仙道たち全員が花狐貂に乗り、崑崙山から離れてすぐのこと。西の空には月が沈みかけている。 「…そういえば楊ゼン、金鰲の妖怪たちはどうなったか知っておるか?少しは生き残っておったであろう」 崑崙山に衝突され、他にも沢山の傷を負っている金鰲島を見つめ、太公望は花狐貂の上にいる楊ゼンに訊ねた。楊ゼンは顔を俯かせた。 「…彼らに脱出の術はありません。なにせ金鰲内部はぐちゃぐちゃですから…」 諦めた顔で言った。が、そのとき突如、金鰲島の一部に音をたてて亀裂が走った。全員の視線がそちらに向く。それは段々大きくなり、ついに、破壊音と共に金鰲の壁を破って何かが飛び出してきた。楊ゼンの出した花狐貂よりも、とても大きい巨大ロボットだ。一同は言葉を失い、それを見つめた。蝉玉だけは叫び声を上げていたが。 「……なんだあれは?」 「手に妖怪がいっぱい乗ってるわ!」 悲鳴混じりに蝉玉が指差した。確かに、そのロボットは前方に突き出している手の中に、妖怪を抱えている。機械音を出しながら、それはこちらへと近付いてきた。 「太公望さま!金鰲島の妖怪仙人たちは、私たちが救出しましたわ!この仙人界のプリンセス、雲霄三姉妹が!」 聞き覚えのある声が、拡声器を通して聞こえてきた。よく見てみると、そのロボの頭の部分に操縦室があるらしい。人影が見える。声としゃべり方とシルエットでも正体を知ることは出来た。 「ビーナス、クイーン、マドンナ!かたじけない!」 太公望の隣で武吉は歓声を上げている。そして、礼を告げた太公望に 「いやですわ太公望さまったら…こんなところでプロポーズだなんて…」 「……なぜ今のでプロポーズになるのだ」 「愛じゃないの?」 「愛ね!」 四不象の上と花狐貂の上という離れた場所にそれぞれいるというのに、と蝉玉がタイミング良く声を揃えていた。今の拍子で手からこぼれ落ちてしまった妖怪仙人たちを、ビーナスが操縦しているロボは慌てて拾っていた。後方には、すでに大分高度の下がった金鰲島。普段飛んでいる高度では絶対にぶつからないほどの岩山に、金鰲島はその体をぶつけた。金鰲島はその岩山の間を通るようにして飛んでおり、両側のそれを削りながら、摩擦で欠片や粉塵が煙となって空へ上る。 岩山に当たり、高度もスピードも下がって、ついに大きな音と共に、金鰲島と崑崙山は、地上に元からあった山々と同じように、地上の岩山となった。衝撃で幾つにも崩れ、壊れ、轟音を立てながら。 日が昇り、落ちた金鰲島と崑崙山が落ち着いた頃を見計らって、楊ゼンと武吉は封神台の確認に行った。はそれには付いていかず、ぼんやり空を眺めていた。今から西岐城に行き、姫発に頼み事をしに行かなければならない。仙人界は実質、なくなった。仙道が再び落ち着ける場所を探すまでの間、しばらく西岐城に置いてもらえないか頼みに行くのだ。妖怪仙人たちは、ビーナスらが責任持って管理すると言ってくれた。今から山の中、どこか良い場所はないか探しに行くらしい。 「よぉ、さん。何してるさ」 天祥を連れ、天化がのいる岩の下から見上げていた。 「うーん、ちょっと休憩」 笑って言った。 「今から西岐城に行かなきゃなんだけど…そうだ、2人も行く?」 「あぁ、王さまんとこに頼みに行くんだっけか。行くか天祥?」 天化は視線を落とし、天祥に聞いた。天化の服を握ったまま、天祥は少し考え込んだが、やがてこくりと頷いた。父親である武成王が死んでしまったことで、暗い表情を浮かべたままだったが。 「じゃあ行こう、3人で」 はそこから、2人のところへと降りた。 「そういやスースはどうしたさ?」 先程から姿が見えない。の顔から、一瞬だけ笑みが消えた。 「…1人にしてくれって、…言われたから。たぶんどこかにいるんじゃないかな」 だがすぐにいつも通りの笑顔に戻る。 「…さん行かなくて良いさ?」 天化の言葉に、は目を伏せた。そして首を左右に振る。 「…私と太公望じゃ、重圧が違いすぎたから。今私が行ったって、何も出来ないよ。1人にしてくれって言われて、しつこく追いかける気もしないし」 それに太公望のところには四不象が行っている。だから、大丈夫。ふふ、とは笑った。天化は腑に落ちないまま、だがそれ以上聞くことも出来なかった。 「天祥くん、手、繋ごうか」 明るい笑顔と共に差し出された手に、天祥は僅かに躊躇ったが、やがてこっくりと頷いてその手を取った。 「天祥くんの手、あったかいねー」 の手も、そんなに冷たいわけではなかったが、天祥の手の方がより温かかった。微笑みながら見下ろすの顔が優しくて、なんだか少し悲しくて、天祥はの手をぎゅっと強く握った。 戻 前 次 2005,08,09 |