金鰲島中枢上部のバリア装置室。そこに一つ、人影があった。金鰲十天君の一人、張天君の姿。向かっているらしいのは、そのバリア装置室の入り口だ。張天君は部屋に入ろうと扉をくぐる。


「よぉ張天君。楊ゼンはくたばったのか?」


装置室には先客がいた。真っ黒な服に身を包んだ、背格好だけで言えば子どもと大差のない人物。


「…ああ王天君。変化の使いすぎで力尽きて骨と皮になったよ。あのとかいう娘も亜空間に耐えきれなくなってね」


張天君は、王天君と呼ばれたその人に向かって、深い笑みを作った。張天君の様子に、王天君は肩を揺らして笑った。


「…らしくねぇぜ、やめろよ悪趣味な事は。楊ゼン」


笑みのまま、王天君は言った。楊ゼン、と。途端に、張天君の姿が歪む。


「張天君の亜空間は破ったようだな」


王天君の目の前で、張天君の姿は楊ゼンの姿へと変わった。王天君は、動揺するような素振りも全く見せず、やはり笑顔のままだ。扉の向こうから、も姿を現した。


「まず僕が先に入って様子見てみますから、さんは後から入ってきてください」


その楊ゼンの指示で、は扉の脇の方に隠れていた。が、相手が何をするでもなく笑いながら会話を続けるので、出てきたのだ。姿を見せたを、王天君は一瞬だけ見たが、すぐに元通りになる。


「ま、キサマならやると思ってたよ。なにせ、あのお方の血を受け継いでいっからな」


にやりと笑い、王天君は楽しそうに言う。楊ゼンは王天君を真っ直ぐ見つめ、


「…知っているよ」


静かに言った。


「僕は50年ほど前に「金鰲島の調査」と銘打って、ここに侵入したことがある。…真の目的は自分の素性を知るためだったんだ」


このバリア装置室に来る道すがら、も粗方の事情を楊ゼンから聞いた。


「そのときに自分の父、自分の母を知った。そして何故、幼体の頃に崑崙山に預けられたのかも」


王天君はつまらない、とでもいうような表情を浮かべ、楊ゼンをじっと見つめている。


「…それでもオレらと戦う気か?」


自分は元々、金鰲島の出身だと分かっていても、戦うのか。王天君はそう訊ねた。


「…そうだね」


楊ゼンは目を伏せた。そして自分の右手を見た。


「…僕は崑崙の道士だからね。…もともとが何であれ…」


その右手は、人ものとはかけはなれたものだった。妖体のときの手。王天君は楊ゼンを見て笑う。


「は、はは!楊ゼン、人間の姿が保てないほど消耗してんのか?かっちょ悪いぜ王子様!」


その王天君に反応し、が宝貝を向けようとした。が、それを楊ゼンは制する。そんなを見て、王天君の笑みが深まった。


「いまキサマを殺すのは楽ちんだがな、もったいねぇから殺さねえよ。金鰲島のバリアの解除スイッチはここだ。好きにしな」


王天君は、自分の後ろにある装置を指差し、言った。大きな装置の真ん中辺りに、ガラスの蓋に守られたスイッチが見えた。


「王天君…何を考えている?」


睨むような目で、楊ゼンは王天君を見る。王天君は、楊ゼンとを一瞥すると、嘲笑するように小さく笑う。


「…んなこと教えるわけねぇだろ。早くしな、オレの気が変わらねえうちにな」


言って、王天君は楊ゼンとの横を通り過ぎる。が、そこで足を止めて振り返った。


「ただし、これだけは覚悟しとけ。金鰲島がバリアを解けば、崑崙と金鰲の仙人同士が真っ向からぶつかる。ほとんどの仙道かくたばるだろうな」


いま始まっている戦いは、そういう戦いなのだ。そう、きっと多くの仙道が命を落とすだろう。


「だがバリアを解かなければ通天砲で崑崙山がくたばるだけで済む」


金鰲島は、今の状況のままだと確実に無傷のまま終わるだろう。頑丈なバリアに守られているからだ。崑崙山だけが、勝ち目のない戦いの中、落ちることになる。


「いいか楊ゼン。こっちならキサマは快く受け入れられる。だが崑崙でキサマの正体が広まれば、口では「仲間」だと言ってはいても蔑まれるぜ。人間なんてそんなもんだ」


軽蔑するように、王天君は吐き捨てた。の表情が歪む。


「キサマは今まで充分すぎるほど崑崙に尽くし戦ってきた。それはキサマが負い目を感じてるせいなんじゃねぇの?「ボクはこれだけ一生懸命働きました。だからボクをいじめないで、責めないで」ってな…」


刹那、空気が動いた。風が起こる。鋭く、冷たい風。の宝貝の先が、王天君の喉元に突きつけられていた。今の今まで楊ゼンの隣にいたは、一瞬で王天君のすぐそばまで移動していた。王天君との視線が交差する。


「勝手な理屈を並べて、全てがあなたの思っている通りだとは限らない。楊ゼンさんは崑崙が好きだから、一緒にいてくれてるんだよ。私や太公望みたいに」


強い目で、はぴたりと宝貝を王天君に当てたまま言った。王天君の顔に、消えていた笑みが戻った。


「まぁそんなピリピリしなさんなって、崑崙の箱入りお嬢様。だが人間全員が、そんなに寛大な心を持ってるわけじゃねぇのも事実だろ?」


笑って、言う。言葉に詰まった。言い返せない。それは、きっとその通りだから。


「…違うよ王天君」


楊ゼンが口を開いた。王天君との視線がそちらに向く。


「僕は誰かに好かれるために戦ってるんじゃないよ。僕がみんなを好きだから戦ってるんだ」


楊ゼンは笑顔だった。それを見、は無言でゆっくりと宝貝を下ろす。王天君はを見て、そのままくるりと後ろを向いた。


「…殺してぇ。妖怪の風上にも置けねぇ奴」


かちり、と楊ゼンはバリア装置のボタンを押した。それと同時に、王天君はその部屋を後にした。

























最後の雨
























「良かった…太公望たちはバリアを解除するっていうの、信じてくれてたみたいですね」


楊ゼンがバリア装置の解除ボタンを押した直後、轟音が響いた。きっと、崑崙山が金鰲島に直撃した音と衝撃だったのだろう。


「ええ…本当に…」


楊ゼンは大きく息をついた。


「楊ゼンさん…大丈夫ですか?」


は気遣うように楊ゼンを覗き込んだ。顔色が悪いように見える。というよりも、先ほどより体が妖体に近付いているように思えた。


「変化の術、頑張りすぎちゃったんでしょうかね?ちょっと、どこかで休みましょう楊ゼンさん」


どこか良い場所はないかと辺りを見回し、は後ろを振り返る。と、突如ふらりとよろめいた。


「…なっ、だ、大丈夫ですか?さん」


楊ゼンは慌てての体を支えた。


「…あ、はい、大丈夫です…ごめんなさい」


なんでふらついたんだろう今。は首を傾げながら、楊ゼンにお礼を告げ、「行きましょう」と促した。歩きながら、異変に気付く。


「…なんか…息苦しくないですか?この場所…」


変な感じがする。だんだんと苦しくなっていっているような、そんな気がする。楊ゼンはともかく、はそんなに体力を消耗するほど宝貝を使ったりしていないのに。何故か疲労感がある。に、「確かに」と楊ゼンも頷いた。どうしてだろう。


「…に、しても。誰もいませんよねぇ。なんかもう歩くのめんどくさいな…この辺で休んじゃいません?」


の様子に、楊ゼンは笑う。


「そうですね」


二人は、浮かぶ球体の壁に背中を預け、その場に腰を下ろした。不自然なほど静か。何の気配も感じられない。


「…そういえば、さっきの王天君っていう人…あの人も十天君の一人ですか?」


「ええ、そうです。十天君の…リーダーの立場にいる人物です」


「うわ、リーダー…。でも戦おうともしませんでしたね。…何故か私のことも知ってるみたいだったし」


さんは師叔の妹弟子で…崑崙山の中でも比較的上位の立場だからですよ。封神計画の…サブ遂行者でもあるし…」


楊ゼンは小さく息をつく。「なるほど」とは納得した。「封神計画遂行者」だから知られているとなれば、頷ける。もし封神計画を実行するのが金鰲の誰かであったとしても、自分はきっとその人物のことを知ることになるだろうと思う。なにしろ、人間界に巣くう仙道を全て追い出し、新しい国を作るということを手伝う計画なのだから。その計画に携わらずとも、計画の重要さと遂行者くらいは耳に入るはずだろう。は溜息をついた。


「…おかしいなぁ…」


座っているだけなのに、疲労感が悪化しているように思える。ふと、上を見上げた。何一つ動かない。誰一人としていないよう。


どさり、と音がした。不意にはそちらへ視線を向ける。と、


「…よ、楊ゼンさん!?」


隣で、楊ゼンが倒れてた。力無く、呼吸が速い。気だるい体に鞭を打ち、は楊ゼンの体を揺すった。だが、楊ゼンは答えない。


「ど、うしよ…」


でもどうして。なんでこんなに。自分にしてもそう。だんだんと疲労が蓄積していっているような感じなのだ。どうしよう。



「お疲れのようだな、お二人さん」



後ろから声がした。は振り返る。そこには


「…王、天君」


小一時間ほど前に、あのバリア制御室にいた。そして、今し方楊ゼンと話したばかりの。相変わらず、笑みを浮かべたままの王天君が、立っていた。は立ち上がり、倒れている楊ゼンの前へ庇うように出て、宝貝を王天君に向けた。


「そう力むなってお嬢様。今のあんた、宝貝持ってるだけでも倒れそうなはずだぜ」


嘲笑するようにを見、王天君は言った。は顔をしかめる。今の王天君の言葉が気になった。


「…なんで、そんなこと分かるの?まさか…」


この疲労感の元凶は王天君?王天君は笑みを崩さず。質問には答えないまま、二人に近付いた。は身構える。王天君は、にやりと笑った。突然、と楊ゼンの周りに別の空間が現れた。四角い、それは二人の体を囲む。


「ちょっと移動してもらうぜ、お二人さん」


王天君の姿が視界から消えた。景色までも消え、暗闇になる。が、それは一瞬のこと。すぐに別の場所が目の前に現れた。今のは、目の前から景色が消えたのではなく、今までいた場所から自分たちが消えたのだ。場所を、移動させられた。きっと空間宝貝で。は辺りを見回した。広く、丸い部屋だった。すぐに、これは「星」の一つだと理解できた。壁にはいくつか装飾品がある。


「…なんなの…?」


正面にいる王天君に、は問いかける。


「今からキサマらのお仲間が助けに来てくれんだよ。だが向こうは生憎お一人様でな。だから」


王天君は、すっとに左手をかざした。途端に、の体が再び四角い空間に囲まれた。


「なっ…」


そこから出ようと手を伸ばしたが、空間は見えない壁のようにとその場所とを阻む。出られない。笑みを浮かべた王天君と、その場に倒れている楊ゼンが見えた。


「悪ィがお嬢様にはお引き取り願うぜ。お嬢様がいちゃあ折角の感動の再会がなくなりそうなんでな」


「な、にそれ、ちょ…王天君!…楊ゼンさんっ!」


感動の再会?誰と誰の?恐らくは楊ゼンと、助けに来てくれているという崑崙の誰かの。しかも一人だという。誰だろう。否、誰であろうと関係ない。何か嫌な予感がするのだ。このまま楊ゼンと離れてはいけないと、頭の中で警報が鳴っていた。楊ゼンの名を呼びながら、隔たりを叩いたがびくともしない。


「楊ゼンさん!」


再び、目の前に暗闇が広がった。四角い空間の中、真っ暗闇だった。今度は浮遊感も感じた。そして、またすぐに明るくなった。景色が見える。そこには、見覚えのある3つの姿が見えた。そして、投げ出されるように、自分を閉じこめていたその空間から、見えた3つの姿のすぐそばに追い出された。先程は立ったままの状態で移動させられたが、今度は少し高い場所から外へ放り出され、倒れる格好で地面に落ちた。衝撃と、地面の冷たさ。


「…!?」


慣れ親しんだ声が耳に飛び込んでくる。起きあがろうとしたが、体に力が入らない。なんとか上半身だけ起こそうと、力を入れて声のした方を見た。移動させられた空間から出るときに、見えた3つの姿が鮮明に目の前で実体として見ることが出来た。。


さん!」


ちゃんっ!」


太公望、四不象ちゃん、蝉玉ちゃん。
3人の姿が目に映った。突如落ちてきたに、3人はひどく驚いたようで目を丸くしていたが、一斉に駆け寄る。ぐったりとしたの体を支えた。


「…、た…」


真正面にいる太公望の顔が滲んだ。頬に、雫が伝う感触。何が悲しいのか、何かが悲しいのかどうかも分からなかった。ただ、どうしてか涙が溢れた。


「…ど、どうしたのちゃんっ?」


蝉玉は宥めるように、の背に手を当てた。


「…楊ゼンさん、楊ゼンさんが…あぶない、から…助けなきゃ…」


太公望の服を掴み、力が抜けたように太公望へ倒れ込んだ。


「…行くぞ、スープー、蝉玉」


「分かったわ。中枢辺りに行くのよね?こっちよっ!」


勢いよく蝉玉はそこから飛び降り、下の方に見える「核」と書かれた球体を目指す。を四不象に乗せ、太公望も四不象に乗ると、四不象は蝉玉の後を追った。


「…ここ…金鰲島?」


太公望の後ろから、は力無く訊ねた。太公望の背に寄り掛かり、四不象から落ちないように掴まる。


「そうだ。おぬしたちを助けに来たのだ。後もう一人、玉鼎もおる。今その玉鼎が楊ゼンを助けに行っておるのだ」


は、閉じていた目を開けた。


「…玉鼎、って…玉鼎さん?楊ゼンさんの師匠の…」


「そうだ」


頷いた太公望に、は全てが理解できた気がした。王天君が言っていた助けに来る1人の仲間というのは、玉鼎のことだったのだ。だから、「感動の再会」などということを言ったのだ。なんということだろう、嫌な予感は現実へ変わってしまうのかもしれない。


「…あら?あれ、何かしら」


先頭を進んでいた蝉玉が足を止めた。一つの丸い球体を、透明の四角い箱のような物が取り囲んでいる。


「曲線ばっかりのとこなのに、えらく直線的っスよ」


四不象が蝉玉に追いつく。


「行ってみよう!」


地面を蹴り、蝉玉は曲線のすぐ傍まで駆け寄った。四不象もそれを追った。そのとき、急に蝉玉の動きが止まる。そして、思わず一歩後退した。


「…った、太公望大変!どうしよう、どうしよう…!」


四不象はすぐに蝉玉の傍に寄り、四角い箱の中に目を向けた。


「どうしたというのだ蝉玉」


その巨大な四角い箱の中は、雨が降っていた。一定の雨音が聞こえる。


「あ、あれっ…」


蝉玉は声を震わせながら、そこを指差した。雨の中、人影がこちらに来ているのが見える。四不象と太公望、も太公望の後ろからそちらを見た。そして瞬時にそれが何なのかを理解した。


「蝉玉、を頼む!」


ハッと蝉玉は我に返り、四不象に乗ったままのの体を支えた。の視線は、しかしその雨の光景から動かない。太公望は四不象から降り、そこに近付く。四角い箱の一部が壊された。中にいるその人物が、宝貝で破ったのだ。そこから、一人が放り出された。


「楊ゼン!」


太公望は楊ゼンの体を起こす。そしてすぐに、楊ゼンを外へ出したその人に視線を向けた。


「玉鼎!」


玉鼎は、未だ箱の中に降る雨の中。


「…太公望、楊ゼンを…頼む」


玉鼎の体が、うっすらと光に包まれ始めた。淡い光はだんだんとその色を増していき、やがて一つの光になっていく。そしてその光は高くへ昇り、崑崙山の封神台の方角へと、飛んでいった。



































      


2005,05,15