たとえば別なものが本当なのだと知ったとしたら、彼女は一体どうするだろうか。

























砂上の答え
























「ここは私に非常に都合の良い場所でね」


目の前に広がる砂漠。一面の、どこまでも続く広い砂地。張天君は言った。


「この空間自体が私の宝貝なのだよ。何もかもが私の意のままに作用する」


空間宝貝。空間そのものが宝貝であり、それがいわゆる張天君の「武器」なのだ。


「だから出口は私にしか閉じることは出来ないし、もちろん開けることも同じ。つまりあなた方はここから二度と出られないことになるね」


出口は、張天君が作らなければ出てこない。今この空間に「出口」というものは存在していない。張天君が「出口」を作っていないから。楊ゼンとは顔を見合わせた。と、楊ゼンの表情に笑みが灯る。


「どうかな?それはやってみないと分からないよ」


張天君に言った。余裕とも取れる笑みだった。


「生憎、僕たちには時間がないんだ。君に構ってる暇は持ち合わせてない」


言った途端、楊ゼンの右手には、あの殷の太子だった殷郊の宝貝が、そして左手には太公望の打神鞭が握られていた。楊ゼンは雷震子の翼をも部分変化で出すと、そのまま宙へ飛び上がった。もそれに続く。というより、楊ゼンの邪魔にならないように、空中に避けることにした。楊ゼンは手に持った二つの宝貝を同時に発動させ、張天君めがけて攻撃する。砂が弾け、爆発のような音がすると共に大きな土煙がその場にあがった。


「…すご」


は呟いた。


「やったかな?」


楊ゼンは土煙の中に目をこらした。だんだんとそれは晴れていく。するとすでに、その煙の中に大きな何かが現れていた。そこら中に広がる砂地と同じ色をした、大きな、砂で出来た人型をしたものが、そこでうごめいている。


「うわぁ、何あれ…気持ち悪…」


ゆらりゆらりと動いていた。立ち上がることが出来ないのか、それとも敢えてしていないのかは分からないが、それは両腕を砂の上に付いたまま、いまにも砂に戻ってしまいそうにも見える。


「砂の巨人、ですね…」


と、その砂の巨人が、楊ゼンとの真下にも現れた。こちらに向かって、その長い腕を伸ばしてきた。間一髪で二人はそれから逃れ、巨人の腕は空を掻く。


「…う、わっ」


「ちょ、待っ、危な!」


それは幾つも幾つも砂地から溢れるように出現してくる。楊ゼンとは、なおも追いかけてくる腕から逃れ、随分と高くまで上ってきてしまった。そしてそのまま前方に進行方向を変えて飛んだ。


「困ったな…本当に空間は自由自在なのか…」


「これじゃ手の施しようがないですね、どうしましょう?出口って本当にないんでしょうか」


は考え込む。楊ゼンも黙った。後ろからは砂の巨人が相変わらず追いかけてきていた。と言っても動きが遅いために追いつかれることはない。しかしこのままでは本当にまずい。先ほどの、金鰲からの通天砲発動の時間から見て、次に発射されるまでは恐らくあと20分ほどだろう。楊ゼンとは、金鰲島のバリア装置の破壊のために敵地へと忍び込んだのだ。バリア装置を見つけ、それを破壊するまでに最低10分かかるとして、ここにいられるのはあと10分くらいだ。このままここに閉じこめられていては、間に合わない。


そのとき急に、砂の巨人が崩れだした。砂の音をたてながら、さらさらと砂地に帰っていく。


「…え?」


崩れ落ち、砂と同化し、遂に分からなくなった。そしてそこには張天君だけが残る。楊ゼンは地上に降りた。


「なぜ攻撃をやめる?見逃してくれるとかか?」


も楊ゼンの斜め後ろあたりに静かに降りた。張天君は表情を変えない。


「…降参した方が賢明じゃないかね、二人とも。文明的に遅れた崑崙の宝貝では我々十天君は倒せない」


小さく溜息をつきながら、張天君は言った。確かに、崑崙には「空間」そのものを宝貝とするような技術はまだない。


「本気で言っているのかい?降参なんてことを、僕がするとでも?」


真っ直ぐに、楊ゼンは張天君を睨みつけるように、強い目で見据えた。張天君も楊ゼンを見つめる。


は、なにかそこに別なものを感じた気がした。なにか、張天君は何か違うものを見ているような。というより、はじめからこの張天君は、自分の方を見ていなかった気がする。「お二方」や「あなた方」と、一応は「二人」としていたけれど、何か、違うような。何だろう。何なのかは分からないけれど。張天君は、楊ゼンだけを見ているような、根拠も何もないのだが、そんな気がしたのだ。


張天君はため息をついた。


「楊ゼン、あなたほど傑出した仙人は他に類を見ない。殺すにはしのびないし…それに」


なぜか間を置いて、そのとき、楊ゼンがなぜだか身構えたのを、は見た。


「あなたは人間よりも、我々に近い気がする」


張天君が何を言っているのか、何を言いたいのか、は最初分からなかった。


「その性格、その完全さ、人間とは思えない」


張天君は淡々と続ける。


「変化能力にしてもそうだ。あれは妖怪仙人が人型をとる時の感じと酷似しているよ。それを進化させたのが変化ではないのかね?」


楊ゼンはこちらに背を向けている。からはその表情は分からない。


「…そして、あなたの真の姿は、我々と同様なのではないかね?」


楊ゼンからしても、背後にいるが、張天君の言葉を聞きながら、どんな表情を浮かべているのかは分からなかった。振り向いて確かめることも、出来なかった。


「妖怪は人間よりも残酷だが、同類には寛容だ。来い楊ゼン、本来あなたがいるべき場所へ。今ならまだ間に合う」


張天君は、長い腕を楊ゼンへと伸ばした。


「あなたの後ろにいるその娘は人間。あなたが我々と同類だと知って、さぞ驚き恐れているだろう。所詮我々は相容れないもの同士なのだよ」


張天君の言葉の矛先が、初めてへと向いた。が後ろで、強張り、動きを止めた気配がした気がした。張天君は楊ゼンに腕を伸ばしたまま、楊ゼンは視線をその腕に止める。


「…遠慮しておくよ」


静かに、楊ゼンは言った。楊ゼンの答えを聞き、残念そうに、張天君の腕が元通りに収まる。再び砂地の上に。


と、突然楊ゼンの宝貝の先端が、崩れて砂の上に落ちた。楊ゼンはそれに気づき、三尖刀を見下ろす。さらさらと、細かい砂のようになって砂地の上に一部が落ちていった。


「言い忘れていたが、ここでは私以外の全てが高速で激しく風化するのだよ。どんなものでも乾いて砂と化す」


乾いた音をたてて、宝貝や、服の端の方が、ぱらぱらと落ち始めた。


「ほら、あなた方自身も乾いてきたはずだ。これが紅砂陣の真の恐ろしさよ。為す術無く砂漠の一部となるがいい」


張天君は笑っていた。今まで閉じられていた目を開き、こちらを凝視して、目の前の二人の様子を楽しんでいる。


「…さん」


呼んだ。


「あ、はい」


すぐに答えが返ってきて、楊ゼンはそれに少し驚いた。


「この風化、あなたは自分の身だけならあなたの風で跳ね返せますよね?」


「ええと、はい、たぶん」


宝貝から発生させる風で、この風化する空気を自分に当たらなくさせる。本当に出来るか自信はないが。なにしろここは「空間」なのだから。だがやってみる価値はあるだろう。


「では、あなたはそれで自分の身を守っていて下さい」


「あ、はい、分かりました」


いつもと変わらぬ、いつもと同じ彼女の答えに、どこか胸の奥の方が落ち着いた気がした。楊ゼンは、小さく息をつく。そして顔を上げた。途端に、楊ゼンの周りがぐにゃりと歪んだ。それはだんだんと、形を伴っていく。張天君は驚いてそれを見上げ、少し後退った。


「張天君、真実を見せてあげるよ」


楊ゼンの穏やかな声。


「ただし、君の命と引き替えだ」


歪んだ空間。楊ゼンは、それに飲み込まれるように見えなくなった。ぐるぐると渦巻いているように見え、やがてその中から、現れた。


「これが…楊ゼン?」


張天君の呟いた声は、誰にかけるものでもない。目の前に現れたのは、今の今まで目の前にいた「楊ゼン」とは、似ても似つかぬ姿だった。宙に、ゆらりと浮いていた楊ゼンは、真下の砂地に下りる。そのとき、誰がその楊ゼンと対峙していても、きっと凄まじいものを感じただろう。強く、鋭い威圧感。張天君は砂の巨人を作り出した。何体も、それは楊ゼン目掛けて倒れ込むように向かっていった。楊ゼンは三尖刀を砂の巨人に向ける。楊ゼンの三尖刀がねじ曲がった。正確には、楊ゼンがねじ曲げた。それは意志を持っているように伸び、巨人たちに絡まると、一気に締め付ける。勢いよく、砂が弾けた。そして砂地へと戻っていく。ざらざらと、砂の滝を見ているようだった。


「…同じ奴とは思えん…!」


張天君の声は、砂の落ちる音に紛れる。突然、その砂の滝を突き破り、楊ゼンが現れた。


「…ちっ!」


張天君は慌て、そこから飛び退いた。同時に、四角い箱のようなものを作り出した。いくつも、それは楊ゼンから遠ざかるように列をなしており、張天君はその中を移動する。楊ゼンは気づき、動きを止める。観察するように、一番近くにあるそれを眺めた。


「言っただろう、十天君は空間を使うと。今は、あなたが近付けば近付くほど遠ざかるようにした」


一瞬のうちに遠くへと移動した張天君は楊ゼンへと言う。


「この空間にいる限り、いかに強大な力を使おうとも無駄なのだよ。あなたに勝機はない」


楊ゼンは三尖刀を下ろす。


「…そうだったな」


そして静かに言った。


「それじゃあ…どうしようか。この世界をぶちこわしてみようか?」


その顔には、笑顔が。


「…なに?」


張天君が言うが早いか、楊ゼンの姿は砂へと変わっていく。大量の砂に。


「砂に変化を…何のつもりだ楊ゼン!」


張天君は叫んだ。


「この空間をパンクさせるのさ」


声が響いてきた。楊ゼンの声だった。


「現在の宝貝技術では無限の空間を造ることなど不可能。キミの空間にも限りがあるはずだね」


楊ゼンの変化した砂は、どんどんと増え続ける。大きくなる砂の山。


「私の空間をおまえ自身で埋めようというのか?」


「今の身体なら出来るはずさ」


楊ゼンは、表情こそ見えないものの、声は明らかに笑っていた。楊ゼンの声に、張天君はにやりと笑う。


「…面白い。私の亜空間とあなたの変化のどちらが勝るか、根比べというわけですね」


そこで会話はぷつりと切れ、砂の音だけが響いた。砂の音はいつまでも続く。どこまでも広がっていくのだ。




砕ける音がして、は我に返った。亀裂が見える。宝貝で作り出している風の向こうの、砂の中に。見つけた。空間の限界。楊ゼンの変化した砂で、空間が一杯になったのだ。ヒビはどんどん広がり、やがて、そこが崩れた。劈くような大きな音と、不自然な光。


「…私の、負けだ」


張天君の声が、正面から聞こえた。継いで、淡い光が見えた。それは張天君の姿を包むようにして強さを増すと、一気に、飛んでいった。魂魄体。自らの宝貝の中で押し潰された張天君は、魂魄となり、封神台へと飛んでいく。


持ち主のいなくなった宝貝が残される。砂地は消えて八角形の物体へと変わり、同時に楊ゼンとはそこから外へと弾き出された。金鰲内部のそこここに浮かんだ道の上に落ちる。そして、今まで自分たちのいた空間宝貝の壊された姿を見上げた。八角形のちょうど真ん中が壊され穴が空いて、その周りには無数のヒビ。自分たちはあの穴から外に弾かれたのか。


楊ゼンは砂から元に戻るとき、人型の方に戻った。半妖体ではなく人型に。


「お疲れ様でした楊ゼンさん」


突如自分の正面に回り込んできたに楊ゼンは驚き、思わず一歩後退してしまった。その反応に、一瞬は目を丸くして、少し苦笑する。


「…張天君は封神されました。早くバリア装置の破壊に行きましょう。私、道分からないんで案内お願いしますね」


そう言って、は歩き出す。とりあえず、張天君の空間に閉じこめられる前まで歩いていた方向にその足は向いている。楊ゼンは慌ててを追いかけようと、足を踏み出そうとした。


「…さん」


楊ゼンには、どうしても聞きたいことがあった。呼ばれて、は振り返る。


「…どうして、そんなに…普通なんですか?」


いつも通りの態度に楊ゼンは図らずも不信感を抱いていた。気を遣っているような素振りも見せず、今までと同じようなの表情に。は小さく首を傾げた。それすらいつも通りで、楊ゼンは思わず眉根を寄せる。


「僕が、妖怪仙人で…嫌悪に思われたでしょう?」


思うのが当たり前だと知っている。だから今まで隠してきたのだ。するとは、楊ゼンの言葉に、目を丸くして彼を見つめた。そして、なぜか急に小さく笑った。笑ったに、楊ゼンは目を瞠る。どうして笑ったのだろう。


「…やっぱりそっちの方、気にしてたんですか?」


言いながら、未だ笑顔で、は楊ゼンの方へ戻ってきた。楊ゼンは言葉の意図が掴めずを見つめたまま立ち尽くす。


「さっきから気まずそうにしてるのは、今まで長いこと隠してたのを気にしてるのかと思いました」


そうか違うんだ、とは一人頷く。


「…あの、」


「確かに私、かなりびっくりしました。まさか楊ゼンさんが実は妖怪仙人で、変化の術も妖怪仙人だからこそ可能であるようなものだったなんて、全く予想しなかったっていうか、思ってもなかったです」


楊ゼンの言葉を遮り、は言った。


「…でも私、思うんですけど妖怪仙人って、つまり楊ゼンさんって白鶴と同じような人ってことですよね?私、白鶴のこと好きですよ」


楊ゼンは目を丸くする。確かに白鶴は人間ではないし、分類上で括りとしては妖怪仙人の方に入る。ただしまだ白鶴は妖精で、妖怪仙人にはなっていないが。


「気にするのは当然のことだって思いますけど…崑崙山には妖怪仙人ってほとんどいないし、妖怪仙人の多い金鰲島とは仲が悪いし…」


だから今も、二人はバリア装置の破壊のために金鰲島に乗り込んでいる。


「けど楊ゼンさんは張天君を封神してくれたし、だから楊ゼンさん自身は自分が妖怪仙人だってこと、あんまり気にしてなかったのかなぁなんて思ってしまいました」


もしも楊ゼン自身に、崑崙山にいるくせに自分が妖怪仙人であるということが足枷のようについて回っているのなら、張天君を封神なんかせずに金鰲側に行けば済むことだ。金鰲島は、強大な力を持った妖怪仙人である楊ゼンを快く迎え入れてくれるだろう。それで終わりだ。その場合、そこでもうの命はないだろうし、崑崙山も壊滅してしまうだろうが。


「確かに私、さっきも言ったように楊ゼンさんが本当は妖怪仙人だったって知って驚いたけど、でも楊ゼンさんって今までずっと崑崙にいたじゃないですか」


ずっと崑崙にいて、封神計画を遂行する太公望の心強い味方でもあって、今起きている崑崙山と金鰲島の戦いでは、崑崙山の道士として戦っている。


「もし今までの楊ゼンさんがずっと演技してたんだって言ったら、それは私も警戒しますけど…。命に関わることだし…なにしろ楊ゼンさんは強いし」


楊ゼンは黙ったままを見つめている。なんとなくは不安になってしまった。


「そうなんですか?」


は、楊ゼンを覗き込むように見た。


「…違い、ます」


楊ゼンは首を横に振る。


「良かった」


ぱっと明かりが灯ったように笑い、は踵を返して再び歩き出した。しかし、そういえば、とは急に立ち止まる。


「半妖体の楊ゼンさん、一段と強いし、格好良かったですよ」


振り向いて、笑いながらは言った。それにつられて、楊ゼンも少し笑顔になる。ようやく笑ってくれたとは思った。少しほっとした。


「…じゃ、急ぎましょうか」


楊ゼンはのもとへ歩み寄ると、笑顔を向けた。


「はい、勿論」


もそれに、同じように笑顔を返した。



































      


執筆...2005,04,30