「発破をかけたっスね、趙公明さん!?」


無言で、趙公明は微笑んでいた。


大きな振動の後、急に一瞬だけ足場が消えて体が軽くなった。

いやな感覚が足から体全体を瞬時に走り、頭のてっぺんから抜けていく。

何メートルか分からないが、この趙公明の建物が下に沈んだのだ。

この建物は大きな川に浮かんでいる。

きっと、その浮力を趙公明は失わせて、建物を半分ほど沈ませたのだろう。


「さぁ、こんな瓦礫の中で最終決戦なんてつまらないだろう?屋上に出よう」


ふわり、と全員の体が浮いた。

未だにどういう仕掛けなのかはよく分からないが、光る輪っかが体を包んで、そのまま体は浮いて上に上る。

あのマドンナの体ですら浮くのだ。

宝貝の一種のような仕掛けが仕込んであるのだろうか。


全員が建物の屋上まで出ると、それぞれの輪っかは消え、趙公明は太公望とに向き直った。

四不象はサッと二人の横に付く。


「さて二人とも、正々堂々と勝負だ」


趙公明は変わらず笑顔で、静かにそう言った。






















夕凪





















「タイタニックのように沈みゆくこの上で華麗に繰り広げられる仙人同士の戦い・・・すばらしい!」


恍惚感に浸っているらしい趙公明は、くるくるその場で回っていた。

何してるんだろう、とは思った。


「さあ!どこからでもかかってきたまえ!!」


趙公明は勢いよく両手を広げた。


「あほめ。もう人質は取り返したし外に出られたのだ。よし、逃げるぞスープー、


「うん」


「二人とも乗ってくださいっス!」


さっさと二人は四不象に乗り、ふわり、四不象は地面から足を離した。


「甘いね!」


急に趙公明は服の中に手を突っ込み、素早く何かの瓶を取り出した。

そしてその瓶を瞬時に3人の方へ投げつける。


ガチャン!


音がして、瓶は四不象の足下で割れた。

途端に瓶から真っ白の煙が吹き出した。


「のわっ!」


「うきゃっ!」


何かに弾かれたように、太公望とは四不象から落ちる。


「いったぁ・・・何なの!?」


腰をさすりながらは立ち上がった。

太公望は背中を打ったようだ。


もうもうと立ちこめる煙の中に、四不象の姿をとらえた。


が。


「・・・え」


「スープー!?」


そこには、単色になり、灰色以外の色を無くした四不象の姿があるだけだった。

全く動かず、煙を浴びた時と同じ格好で固まっていた。

地面からは煙の形がそのまま固まったようなものが四不象を捕まえており、四不象は高いところで物言わぬ銅像のように佇んでいた。


「趙公明、おぬしスープーに何をした!?」


「石になってもらったのさ。さっきの煙は霊獣を石にする物質が入っていてね。これでキミたちは逃げられないだろう?」


足止めか。

四不象は再び人質ならぬ獣質になってしまったわけだ。


「・・・わしに本気を出させるためにか?」


太公望は静かに尋ねた。

あまりにも静かに、だがそれは低く、それに加えて強く響く声だったために、は驚いた。


怒っている。

瞬時には悟った。

長年一緒にいた経験からなのか、太公望の声からそれを感じ取った。


「まぁその通りかな。本当はくんにもう一度人質になってもらおうかと思ったんだけど、方法が見つからなくてね。
 四不象くんになってもらったというわけさ」


太公望の感情の変化に気づいてないのか、気づいていても全く臆してないのか、趙公明は何ら変わらず笑いながら言った。


「・・・仕方あるまいな。そこまでおぬしが戦いたいというのなら」


ふわりと、太公望との周りを小さな風が渦巻いた。


。おぬしはここで四不象が巻き込まれて崩されないように守っておってくれるか?」


四不象はいまはただの石。

何か強い衝撃を受ければ、たちまち木っ端微塵になってしまうであろうから。


「うん。任せて」


一番の得意分野よ、とは笑う。


「それから、わしの後ろから離れるでないぞ」


はたり、の笑顔がそのまま固まった。


「・・・なんで?」


「・・・なんでもだ」





――しかしどこかにあるはずだよ、太公望くんの変化は――





先刻、趙公明はそう言った。

その言葉が、の中に蘇ってきた。


もしかして、これが?

しかし今までになかったものといえば、これ以外には思いつかない。


怪我するところが見たくないだの、今までになく自分を心配している風な態度。





――つまり太公望くんは態度には表していない、ということだね――





態度には、実は案外現れてるようです、趙公明さん。


――ふっ。


「・・・・何を笑っておるのだ」


突如、何の前触れもなく吹き出したに太公望は訝しげな表情を向ける。


「いや別に。大丈夫大丈夫。これでも私、守りの宝貝使いなんだからね」


四不象ちゃんも守るし、怪我なんかもしないから。

笑顔のまま、笑いながら、は太公望に手をひらひら振った。



でもなんで太公望は私のこと心配するようになったんだろう。



誰もが「は?」と聞き返してしまいたくなるであろう、は疑問を抱えていた。

変化こそ分かったものの、それの意味するところまでは、は気付いていなかった。


太公望自身もそんなの疑問に気付くこともなく、に背を向け遠くにいる趙公明と向き合う格好をとった。

というより太公望自身も、なぜ自分がそんな風に考え始めたのか詳しいところまでは深く考えていないのかもしれない。


「では、ゆくぞ趙公明!」


弱い風が巻き起こり、すぐに強い風の波が辺りを舞った。

の髪が、風で揺れる。

風は生きているかのように、太公望と、石になった四不象の周りを吹き荒れている。


この宝貝は、崑崙山のエネルギーも使って発動させることが出来るのだ。

太公望は、貰った直後にその宝貝のことを、そう説明してくれた。

見た目は以前の宝貝と全く変わらない。

中身だけが少々レベルアップしたのだ、と。


しかし、使用者の力が強ければ、「少々のレベルアップ」だけでは片付かない。

これは自然に発生する風というよりも、太公望と崑崙山のエネルギーそのものだ。

は思った。


そして、と四不象の周りに、新しく別の風が起こった。


「守りの宝貝、よろしくね」


は宝貝を握り直し、自分の後ろにいる四不象を見上げた。


「二種類の風、か・・・。素晴らしいね」


趙公明は二人を見つめ、突然、自分の手に持っていた黒い教鞭のような宝貝を脇に投げやった。


「雲霄!金蛟剪をとってくれるかい!?」


趙公明は、自分たちのいる建物から少し離れた、しかし建物の一部だったらしい浮いている岩の上にいるビーナスに向けて言った。


「もうお兄様!私の名前はビー・ナ・スっ!」


訂正しながら、そして勢いよく、ビーナスは趙公明に向かって金蛟剪を投げた。

軽々、趙公明はそれを受け取る。


「もともとこの金蛟剪は僕の持ち物でね」


残念だけど、妹たちの時のようにはいかないよ。


金蛟剪が光を放つ。


と、その光の中からは、七匹もの龍が一気に飛び出してきた。


「・・・七匹・・・しかも虹色」


光り輝く七匹の龍たちは、それは綺麗な虹色だった。

もしこの龍が宝石だったとしたら、世界中探しても、これほどに綺麗な宝石は見つからないだろう。


多いわね。どうしよう。

は小さく呟いた。


「・・・むう、確かに多いのう・・」


やるしかあるまい。

言って、太公望は打神鞭を振り自分たちの周りに風の渦を作った。

向かってくる龍はその風に弾かれ、宙をぐるぐると旋回している。

うかつに近づけないのだ。


と、そのとき急に風が変わった。

一振り、太公望が打神鞭をくるりと円を描くように回した。

途端に二つの竜巻が渦巻き、それは龍めがけて突っ込んでいった。

その二つは、二匹の龍に絡みついた。


こちらもあちらも、共にそれ自体は宝貝で出来たもの。

龍は絡みついてきた風の渦から解放されようと躍起になったように暴れていたが、

すぐにぐにゃりと龍の姿が歪み、虹色と風が混じり合って、音がしたかと思うと次には龍の姿は消えていた。


きらきらした光の粒がその場に舞っていた。

きっと龍の破片であろう。


二匹の龍に巻き付いていた竜巻も同時に消えており、だが周りの風の渦は消さないまま。



ピシリ



乾いた、なにかが軋んだような嫌な音が聞こえた。

何の音だろう。

は思った。

私の使っている宝貝からの音ではない。

自分の周りにそんな音を発するようなものもない。

だとすれば。


「・・・太公望?」


は、自分の前にいる太公望を見、声をかけてみた。

しかし返事はない。

振り返ることもしない。

風の渦の間から、遠くで金蛟剪を持って、余裕なのか笑顔でいる趙公明が見えた。


「今の音、何・・・」


少し顔を傾けて太公望の方を覗き込んでみた。

見えた光景ですぐに音の元が分かり、同時にサッと自分から血の気が引いていくのを感じ取った。


「・・ちょ、ちょちょちょっと太公望!」


距離も遠く、しかも風の渦があるということのおかげで趙公明は気付いてないようだ。

しかしこれはまずい。


打神鞭にヒビが入ったのだ。

宝貝が太公望の力がに追いついてないのだろう。

まだ龍は、五匹も残っている。

趙公明は余裕のようであるしどう考えても不利な状況に置かれてしまっている。


「太公望!わ、私が代わるから!」


それ以外に方法は見つからない。

このまま打神鞭が壊れてしまうのを待つだけになってしまう。

それならば自分が前に出て龍と対峙する方が良い。


「ならぬ!」


ようやくだった。

太公望が口を開いたのは。

しかしその一言だけ。

もちろんだってこの一言だけで食い下がるわけにはいかない。


「なんで!?私、あの龍たぶん消せると思うよ!?」


先ほどの三姉妹のときより手強そうではあるのだけれど。


「おぬしの宝貝では、相手の攻撃が一定の近距離まで来なくては跳ね返すことも消すことも出来ぬであろう!
 あの龍の力を見たところ、あれは尾が掠っただけでも四不象はただではすまぬぞ!」


言葉に詰まった。

確かにその通りだ。

の宝貝は一定の距離に相手の攻撃が存在しなければ消滅出来ないし、跳ね返せない。

それほどの距離になれば、相手は龍の形をしているために動き回る。

その龍の体の一部が、石になった四不象に当たってしまえば四不象は確実に砕けてしまうだろう。


どうしよう?


誰か、誰かいないのか。

この状況を把握してくれ、助け船を出してくれそうな人は。

咄嗟に、は辺りを見回した。


そして、その視界に見慣れたものを捉えたのだ。

あれは。


「・・原始天尊、さま・・・?」


「――なに?」


そうだ、確かにあれは。

自分たちのいるこの建物から遠く離れた場所に浮かぶものが見える。


まさか、という風に太公望はの視線の先を追った。

そして太公望もしっかりとその視界に捉えた。


間違いない。

今までに幾度となく見たことのある、そして仙人界でのんびり暮らしていた時に乗ったこともある、黄巾力士。

それがそこには浮かんでいた。

黄巾力士の隣には、瞬間移動をすることができる、これも原始天尊の持ち物のロボットも浮かんでいる。

いや、こちらは浮かんではおらず、川の中に半分ほど落ちているようだが。


「なぜ原始天尊さまがここに・・・」


「ていうか助けてくれても良いのに!」


そうもいかないことは百も承知なのだが、そう言わずにはいられなかった。

原始天尊が自ら手を下せば、もう一つの仙人界である金鰲島の仙道たちが黙っていないだろうから。

そちらがトップを出すのなら、こちらもトップを出してやろう、と。

仙人界同士の大きな争いが勃発することは避けられまい。

なぜ原始天尊がこんなところに。

思い当たる理由は一つ。

自分たちが趙公明という、大きな敵と対峙していることが理由だろう。

一風変わった人物ではあるが、力としてはトップクラスのもの。

さしずめ原始天尊はそんな趙公明とどう戦うかを見に来た、とでもいうところであろう。

もしかすると、こちらが「負ける」という可能性もあるのだから。


その間にも、太公望の打神鞭は音をたてている。

宝貝の白い破片が風の中に紛れていく。

しかしそれに圧されて力を緩めれば、一気に五匹の龍たちは向かってくるだろう。


そのときふと、趙公明の視線が、自分たちから見て右横に逸れたのに気付いた。


ぎくりと、の背中に冷たい風が走った。

自分たちは原始天尊の出現に狼狽えすぎたかもしれない。

原始天尊がいるのは自分たちから見て右横の遠く。

そちらの方に、視線を向けすぎていた。

いくら自分たちと趙公明が離れているからといって、風の渦が壁になっているからといって、こちらの行動が全く見えないわけではない。

こちらからも向こうの様子は見えるのだから。

趙公明も当然、不審に思ったのだ。

あの二人は一体あんな熱心になにを見ているんだ、と。

そしてそこに捉えたのは、敵として位置している崑崙山を率いている原始天尊の姿。


そして趙公明は、今までにない笑顔を向けていたのだ。

まるで、探し求めていたものが見つかったかのような。


「なんと!僕の最大のライバルである原始天尊くんがこんなところにいるなんてね!」


趙公明は高く叫んだ。

その発言の矛先は原始天尊に向いている。


「というわけで太公望くん、くん!僕には大事な用事が出来てしまった!残念だけれどこの辺で終止符を打つとしよう!」


趙公明の言葉と同時に、金蛟剪が光った。

五匹の龍の体も光り、その光が一つに固まり始めた。

龍たちは建物の周りを回りに回り、その間も光を絶やさないまま。

バシン、と急に光の全てが一つに固まり、今までのどれとも比べられない大きな龍になった。


一気に、向かってくる。


「まずい!」


太公望が打神鞭に力を入れ直したのを感じた。

風の渦が強くなる。





バキッ





砕けた音。

紛れもない、打神鞭が壊れた音だった。

風が薄れる。



突然、自分のものではない強い力がの体に加わった。

横に突き飛ばされたのだと、すぐに理解できた。

透明な川の水が小さく視界にうつる。


「――な・・」


太公望の横顔が見えた。

真っ直ぐに龍を見据えている。




「・・・おぬしが約束しろと言ったこと、守りたかったのだがのう」




少し嘲笑するように太公望は微笑んだ気がした。

嘲笑した相手がだったのか、太公望自身だったのかは分からなかったが。


「え・・・?」



冷たい衝撃が体を貫いていった。

予想以上の水の冷たさと、投げかけられた言葉の意味、そしてこれから彼の身に何が起こるのかという想像に難くない予想。



――いやだ。



待って。


置いていかないで。










































      








































太公望の変化っていうのはただ単に、さんを守りたいっていう気持ちが強くなったこと。

本当にそれだけだけど、今までよりはずっとずっと強い感情。

ていう話。



執筆...2004,12,31