「うーん、良い天気…」


は1人、屋根の上で伸びをした。白い雲が幾つか浮かんだ青い空は、静かにを見下ろしていた。

























傍観者との出会い




























太公望と別々に人間界に降ろされたの宝貝は羽衣型で、浮遊可能な宝貝。現時点での宝貝の能力と言えば、空を飛べることと風による防御をすることのみだ。元々この宝貝は攻撃には向いていないと、授けられたときに原始天尊が予め教えてくれていた。その宝貝をフルに活用して太公望と霊獣・四不象を追った。しかし、やはり宝貝と霊獣との力の差は歴然だった。全く追いつけず、太公望達がどこに行ったのか、さっぱり分からない。


まずは朝歌にでも来るのではないかと思い来てみたものの、会える様子は一向にない。朝歌に来るまでの小さな村落などで情報収集も兼ねた寝泊まりを繰り返してみたところ、一つだけ有力だと思われる話に遭遇した。


「つい一昨日だったか、1人の道士さまが村人全員を救って下さった」


薬売りの老人はそう教えてくれた。なんでも、朝歌から来た殷の兵士達に村人は1人残らず連れて行かれそうになったそうだ。そこを1人の道士が巧みな技で救ってくれたとか。その村落は移住民族たちの住む村で、そんなことがあったから、その場所からはもう離れてきたのだそうだが。


「あれは偶然なんかじゃない。道士さまは私たち皆のことを考慮して下さったんだ。証拠に、村人は誰も掠り傷一つ負っていないんだから」


老人は、全員が助かったのは絶対にその道士の計らいだと信じて止まなかった。


「巧みな技って?」


「村人、老若男女構わず全員に酒を飲ませなさった」


「……」


その時点で確信を持った。絶対に、太公望だ。
その後、その道士は何も言わずにいつの間にかいなくなっていたらしい。


「行き先は聞かなかった。もしあの道士さまに会えたら、一言礼を言っておいてもらえませんか?」


老人は親しみを込めて、にそう言伝を頼んだ。




「早速、人助けしてるじゃない、太公望…」


他人に親しまれ、感謝されるというのは悪くない。感謝されている兄弟子の仕事ぶりに、の表情は緩んだ。自分のことではなくとも、知り合いの、身近な人間がそういう風に思われるのは嬉しい。


「さてと。じゃ、ちゃちゃっと探して太公望に伝言を伝えましょうか」


は腰を上げて周りを見渡した。朝歌、禁城の屋根の上。見渡せる景色は城下町。
先程着いたばかりの朝歌だが、この都の状態は酷いものだということが一目で理解できた。重い税により寂れた町並み、王都だということが嘘のように思える。それに対して禁城の雄大さ。大きくそびえ立つ門が、都の人々との隔たりを極度に表していた。
これほどまでに酷いだなんて思わなかった。こんな下界を知らず今まで悠々と仙人界で暮らしていた自分に対する腹立たしさすら感じられる。のんびりなんてしていられない。このままでは人間界は死んでしまうのではないかと、そう思った。
そのためには太公望と再会しなくてはならないのだが。一体どこにいるのやら。もしかして朝歌には来ていないのだろうか、だとしたらどこに?は屋根の上を渡りながら考えた。もしかして捕まっていたりして。


「…あはは、いやいや、まさかそんなことは」


は一人で呟いた。そのとき


「…ん?」


大きな何かが目に留まった。城の敷地内。とても大きな、作られた穴のようなもの。しかもその大きな穴の中は、何かで大量に埋め尽くされている。


「…、な」


その「何か」を咄嗟に判断して、は息をのんだ。


蛇。


「…な、に‥これ」



何十匹、いや、何百匹かもしれない。蛇で埋め尽くされた大きな穴。その穴の中に蛇以外にも入れられているものを見つけて、は我が目を疑った。人だ。生きた人間が、落とされている。悲鳴を上げながら、蹴落とされ、枷を付けられたまま、抵抗することも出来ず。何十人も。穴の周りには手枷を付けられた人間が立っていて、監視のための兵士も何人か立っている。


何?これは。いったい何が、行われているのか。何のために?さっぱり分からないし、理解すらしたくなかった。こんな、人外な行為を、一体誰が?何かに縛られたように、はその場に立ち尽くすことしか出来なかった。


「おや、あなたも見学ですか?見たところでは仙道のようですね。太公望を助けに来た、というところでしょうか」


目の前の事態が目から離れず、何も頭に入ってこなかったに、突然見知らぬ声が降ってきた。驚いて、はその場から飛び退いた。そしてすぐさま上を見上げる。そこには1人の人間と、1匹の霊獣が浮いていた。変わった身なりの、恐らくは道士と、猫のような可愛い顔をした大きな霊獣だった。どちらも初対面だ。


「初めまして、と言った方が良いでしょうね。私は申公豹。こちらは黒点虎です」


訝しげな表情を浮かべていたに、「申公豹」は自分と霊獣の紹介を淡々と行う。黒点虎はの立つ屋根の上に降り立って、申公豹はその黒点虎の背中からを見下ろす。


「…私は、。崑崙山の…」


が自分の名前を告げると、申公豹の笑みが一層深まったような気がした。そしては先程の申公豹の言動を思い出す。


――太公望を助けに来た――


なぜ、太公望を知っているのか?


「…太公望を、知ってるの?」


は少なくとも初対面で、たぶん太公望も、もし今この場にいるとしたら、この申公豹という人とは初対面のはずだ。が聞くと、申公豹は「ああ」と頷き、


「太公望なら、ほら、あそこにいますよ」


そう言って、申公豹は大きな穴の傍らにいる人間を指差した。その人間は紛れもなく、



「…太公望…!」



捕まっている。枷を付けられ、兵士に囲まれている。その横には四不象と、四不象に乗っている知らない女性の姿があった。


「…あれ、が…もしかして、妲己?」


「ええ、そうです」


初めて見る、綺麗な女性。四不象の上で、眼下の光景を眺めながら全く笑みを絶やさない。その笑顔はとても美しいものだと言えるのだが、どこか得体の知れない恐ろしさがあった。彼女が、何人もの仙道を引き連れ人間界を掻き回している仙女なのか。そして、その妲己を乗せている四不象は、全く抵抗もしていなかった。そうか、誘惑の術で、四不象は術に掛かっているのだ。


「あなたは、太公望が捕まっているから助けに来たのではないのですか?」


の驚き様や言動から、申公豹は疑問を持ったようだ。


「…太公望が捕まってるなんて知らなかったし…この大きな穴も…」


とりあえず、まずは早く助けなくては。何がどうなっているのかはさっぱりだが、とりあえず自分の敵は妲己で、その妲己に太公望も四不象も捕まっていて、しかもどう見ても太公望は絶体絶命の危機だと思う。は宝貝を握りしめた。


そのとき、ドン、という大きな音と震動が突如辺りを襲った。衝撃風に、思わずは目を瞑る。何が起こったのか。突然の爆音に、爆風。免れた人たちが悲鳴を上げながら逃げる声や光景が、目を開けたの目の前に広がっていた。


「…な…?」


「全く、妲己は何を考えているのか」


申公豹は溜息混じりに、しかしどこか楽しそうに言った。


先程まで太公望や沢山の人たちがいたそこから、真っ白い煙が立ち上っていた。はなんの躊躇いもなく、一目散に屋根から飛び降りた。そんなに、申公豹は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻り、の後ろ姿をじっと見つめていた。


「やれやれ、考えもなしに飛び出す人なのですね、あのは」


「これが普通なんじゃないの?」


もうの姿は沢山の人に紛れて分からない。申公豹と黒点虎の会話が聞こえることもなく、四不象と妲己が上空へと上がっていったのを見ることもなく、は人の波をかき分け走っていった。


































      



2002,10頃