赤のエレベーターには、太公望、ナタク、燃燈、の4人が乗った。緑のエレベーターには、それ以外の全員が乗り込む。燃燈の、選抜メンバーの選択に納得がいかないと、蝉玉と懲りずに雷震子の2人が燃燈に挑戦を申し立てたが、あえなくやられてしまい渋々諦めて緑に乗った。


「ではよいな皆の者、下がどうなっとるのかは分からぬ、冷静にのう」


太公望が赤のエレベーターから、少し離れたエレベーターまで呼びかける。


「ふんっ 分かってるわよ」


蝉玉と雷震子の機嫌はすこぶる悪い。


「それでは行こう」


エレベーターの壁際で腕を組み、燃燈は静かに言った。そこにいるだけで、存在感が溢れている。オーラとでも言うのだろうか、はなんとなく、苦手なタイプかもしれないと思った。まさか本人にそんなことは言えないが。


「太公望師叔!」


「おお、楊ゼン!」


太公望を呼んだのは、禁鞭が見つかっていないためにまだ落下地点で探すと言って残っていた楊ゼンだった。六魂幡を身につけ、今し方ここに着いたばかりなのだろう、そしてその楊ゼンの隣には見覚えのない人物がいた。


「…と、誰?」


「…張奎だ」


楊ゼンの隣にいたその人は、聞仲の腹心であり、メンチ城で戦った相手。イメージがあまりにも変わっていて分からなかった。ただ、その張奎の腰には禁鞭がある。エレベーターの奥から、燃燈は楊ゼンと張奎をじっと見つめた。


「おまえ達2人もこっちだ」


見知らぬ人物に呼ばれ、楊ゼンと張奎は顔を見合わせる。だが、他に誰も何も言わないことから、2人も赤のエレベーターに乗り込んだ。緑のエレベーターは、張奎と共にここまで来ていた高蘭英と烏煙も乗せて扉を閉めると、赤よりも一足先に地下に降りていった。霊獣の四不象や烏煙を乗せることができるエレベーターの中は、小さな部屋程度の広さがあった。緑のエレベーターが下りていったのを見送って、赤のエレベーターの扉も閉まった。
エレベーターの中に沈黙が訪れる。この赤の方に乗り込んだメンバーは、恐らくどちらかといえば寡黙な人間が多い。燃燈は会ったばかりだが、この短時間での行動や言動を見ていても、決してお喋りな人間には見えない。はと言うと、別に大人しい方ではないが、このメンバーの中で進んで場を盛り上げるようなことをする気にはなれなかった。きっと、緑の方は賑やかなのだろうとはぼんやりと考えた。そんな中、楊ゼンがちらりと燃燈を見た。


さん、もしかしてこちらの方は燃燈さまですか?」


「…そのようです」


楊ゼンはこの燃燈という人物のことを知っていたようだ。元十二仙で、相当な力を持っているようなので楊ゼンが知っていても不思議ではない。燃燈は静かに目を閉じ、腕組みをしている。


「そうだ、おぬし、行方不明だったくせになぜここにおるのだ?」


不信感ありありの表情で、太公望は燃燈に詰め寄る。そのとき、到着を告げる電子音と共にエレベーターが止まった。地下7階を示す数字が灯っている。地下7階はいちばん下の階だった。


「着いたぞ」


エレベーターの扉が開き、燃燈が一番に出た。太公望の質問に答える気は全くないようだ。ナタク、張奎、楊ゼンもそれに続く。


「…あやつ、突然登場したくせに偉そうだのう。しかもわしより大層強そうだぞ」


ぽつりと呟いた太公望の言葉に、は思わず吹き出した。


「さっきから静かだと思ったら、そんなこと考えてたの?」


憮然とした顔の太公望を見ては笑った。
エレベーターの外は、とても広い場所だった。円形状の建物で、まるでどこかのホールのように、太公望たちのエレベーターが降りてきた場所が一番下の舞台だとすればそれを取り囲むように上の方に観客席がある。緑のエレベーターに乗ったメンバーは、その観客席に到着していた。そこには、他にも妖怪たちが大勢いる。ざわざわと騒がしかった。
そして太公望たちから見て正面に、妲己がいた。観客席に妲己専用の椅子が作られているようで、観客よりも高い場所から太公望たちを見下ろしていた。


「みなさまお待たせーん、挑戦者のご入場よん」


マイクを使っている妲己の声は広いその空間全体に行き届いた。観客たちのざわめきが少し落ち着く。


「さぁ、始めるわん。ただいまよりここ蓬莱島の闘技場にて、」


「闘技場…?」


楊ゼンが呟いた。この広いホールのような場所は闘技場だったのか。


「大、大、大っ、大宝貝大会を開催いたしまぁ〜す」

























宝貝大会 一




























「……宝貝大会」


太公望の呟きの後ろで、歓声が大きくなった。


「そう、わらわチーム7人と、そちらチームとの団体戦。ルールは無し。どちらかの魂魄が飛ぶまでの一本勝負ん」


妲己はにっこりと微笑む。


「さぁ皆さぁん、どっちのチームが勝つか賭けてぇん。わらわはわらわチームに500億円賭けるわぁん」


「…なんて不埒な…」


「闘技場ではなく賭場ではないか…」


わいわいと騒ぎまくる観客の中で、蝉玉が財布を丸ごと出しているのが見えた。


「さぁーて太公望ちゃん、わらわチームの一番手は植物系妖怪の高覚ちゃん。…あ、言い忘れてたけどん、わらわチームの妖怪たちはみんな、女カ様にお力をいただいているのよん」


「女カの…」


歴史の道標・女カ。歴史を操り、そして妲己の背後に潜んでいた黒幕。その力はおそらく、妲己とも比べものにならないほどだろう。その妲己は笑んだまま、こちらを見下ろしていた。


「さあ、はじめるわん。高覚ちゃんステージモード、ポチっとなん」


妲己は、太公望たちからは肉眼で見ることは出来ないが、椅子の手すりについているらしいボタンを押した。すると、どんな仕掛けが施されているのか太公望たちが立っていた地面の敷石が、1つ1つ何かに引っ張られるようにばらばらと宙に飛んだ。敷石の下になっていた土が現れてくる。観客から歓声が上がった。


「石板が飛んだのか…」


石板は周りに飛び去り、闘技場は土がむき出しの状態になる。その地面の真ん中辺りに何かあるのが見えた。岩か、何かが生えているのか。だがこのステージは一面の土で木も岩もない。目を凝らすとそれが、顔の目から上をその場に出している何か、ということに気付いた。顔の付いたこげ茶色のキャベツみたいなものが生えている、と説明すれば分かりやすいかもしれない。


「…ぬお、なんかおる…!」


「…わあ…なにあれ」


太公望と、つられても2、3歩後退した。


「どうやらあれが、植物系妖怪の高覚とやらのようですね」


楊ゼンが言った。太公望は、その高覚から必死で目を逸らしていた。どうやら苦手らしい。


「さぁ、そちらは全員でやるのん?それとも代表が出るのん?」


妲己が訊ねる。


「オレが1人でやる!」


「いえ師叔、ここは僕が様子を見ます」


ナタク、楊ゼンが前に出る。太公望は2人を見、残りのメンバーも見た。そしてその目はなぜか燃燈で止まる。


「…なんだ?おぬしはやる気なしなのか?それとも燃燈サマほどのレベルの仙人だと、あのような敵は嫌なのかのう?」


燃燈にからみ始めた。


「師叔…」


「ちょっと太公望、やめなよ、みっともないよ」


楊ゼンは脱力し、は太公望の服を引っ張った。しかし太公望はにやにやと嫌な笑顔を浮かべたまま、なおも燃燈に突っかかる。そんな太公望に燃燈は変わらぬ強い目つきを向けた。


「誰が出るとか出ないとか、そんなことはどうでもいい。結果として女カを倒せればな」


燃燈は至極真面目にそう答えた。


「はい、ほら、燃燈さんの言う通りだから、こんな仲間割れしてる場合じゃないでしょ今は」


が窘めると、今度は太公望はを睨むように見た。


「おぬし、どっちの味方なのだ?」


「どっち、って」


どういうことだ、と言い返そうとしたの言葉は、張奎の深い溜息に遮られる。


「全く、相も変わらずまとまりがあるのか無いのか…こじれるようなら僕が出ようか?」


皆の視線が張奎に集まった。


「そういえばおぬし、なぜここへ?」


今更だったが、太公望は訊ねた。だが確かに、敵同士で一度戦ったことのある相手であり、しかも太公望たちを許したわけではないと告げて張奎は去っていったはずだった。太公望の問いに、張奎は前を見据えたまま禁鞭にそっと手をあてる。


「…僕はいつか聞仲さまを越える道士になる。妲己とか女カとか、そういうものは関係ない。今はただ強い敵と戦い、自分を鍛えたい。理由はそれだけだ」


張奎の目は揺るぎないものだった。聞仲の後を追いかけていた頃とはきっと違う。


「一番手は任せましょう」


楊ゼンの言葉に、太公望は頷いて同意した。張奎は数歩進み、土から顔半分を出している高覚と向き合う。


「…にしても、あの首人間…気色悪いったらないのう…」


太公望は呟く。すると、その首人間が動き始めた。高覚の周りの土が盛り上がり、それは高覚がその姿を地上に現し始めたからだった。高覚が地面から出てくる様子は、すごい勢いで植物が育っているような風に見えた。地面から出てきた高覚の体は、全身が根のようだった。その根から養分を吸い、高覚は生きているのかもしれないとは考えた。どこにでも生えている植物と同じように。
観客席が盛り上がる。観客は8割か9割が妲己側の妖怪仙人なので、聞こえてくる声援は高覚に向けられているものばかりだった。姿を現した高覚を見据えて、張奎は禁鞭を取る。


「いけ、禁鞭!」


張奎は禁鞭を高覚に向けた。聞仲が使っていた頃と同じ、幾本にも分かれて見える禁鞭は、瞬く間に高覚の体を貫くようにして命中していた。高覚の体は崩れ落ちる。ぼろぼろと、木の根のような高覚の体がその場に散った。


「わぁ、すごい、一瞬で」


目を丸くする太公望との後ろで、燃燈は無言のまま張奎を見つめる。
と、そのとき突然禁鞭が暴れ出した。


「…わ、っ」


禁鞭の力をコントロール出来ていないのだ、と瞬時に理解できた。禁鞭は、まるで意志を持っているかのように暴れた。太公望たちに向かってきたり、観客席の方へ跳ねたりしている。ただ、観客席とステージの間には厚い硝子のようなバリアが張られており、禁鞭が観客たちに被害をもたらすことはなかった。


「張奎、何をやっておる!危ないではないか!」


向かってくる禁鞭を避け、太公望は声を荒げる。その後ろで、の体を掠めるようにして、禁鞭は地面を抉った。空気を裂くような禁鞭の音がすぐ耳元で聞こえ、は思わず硬直する。


「…だめか」


呟くような声が耳に届いた。燃燈の声だ、と気付いた瞬間、何かがぶつかるような音がして、その音の方を見ると、燃燈が禁鞭をその手で掴んでいた。禁鞭は、今の今まで川で泳いでいた魚が捕まえられたときのように、燃燈の手から逃れようとするかのような動きをした。本当に生き物のように見える。少し蛇に似てる、とは思って顔をしかめた。蛇はあまり好きではなかった。


「…禁鞭を掴んだ」


信じられない、と言った表情を、楊ゼンは燃燈に向ける。張奎は、肩で息をして膝を地についていた。暴れ出した禁鞭が当たった箇所からは血が流れている。


「聞け張奎」


禁鞭を片手で掴んだまま、燃燈は張奎を見た。


「禁鞭は最も気位が高い宝貝だ。ゆえに、聞仲が現れるまでは誰一人使えず、飾られているだけだった。だから使えぬことは恥ではない。しかし、禁鞭は今後も有効な戦力になる。これからは私が使ってやってもいい」


その言葉に、張奎は燃燈を睨みつける。


「だまれ!」


張奎に、禁鞭を手放す気はさらさら無かった。張奎の答えに一呼吸置いて、燃燈は掴んでいた禁鞭を離す。禁鞭はもう暴れようとはせず、重力に任せるままに、地面に落ちた。


「そうか、ならば気を抜かず続けるがいい」


燃燈は、張奎よりも向こう、高覚がその姿を現していたところに視線を送った。


「張奎くん、気を付けて。敵はまだ生きてる」


楊ゼンが言った。瞬間、張奎の周囲に、先程現れていた高覚と同じ姿形のものがいくつもその場に現れた。全てが根っこで、地面に繋がっている。一緒に地上へ飛び出してきた根が、張奎の体に絡まり始めた。張奎は禁鞭に吸い取られてほとんど力の残っていない体に鞭を打ち、立ち上がって禁鞭をそれらにぶつけた。一瞬でその根たちは、先程と同じように地面に崩れ落ちていく。
しかし今度は、より太い根が張奎を囲んだ。張奎の体は、禁鞭と一緒にその根に飲み込まれる。


「張奎!」


「太公望師叔、土系の張奎くんと植物系の高覚とでは相性が最悪です。頼みの綱の禁鞭も、あの状態では…」


根が絡み合った背の高いものが、そこに一つの物体のようにして完成した。張奎の姿はどこにも見えない。おそらくは、この根の中心当たりにいるのではないかと思われた。


「妲己はこの戦いにルールはないと言いました。僕が炎系の宝貝で焼き尽くしましょう」


楊ゼンが変化の術で、火竜縹を出した。


「お待ちなさい、楊ゼン!」


観客席から、そう高くもないが凛と響く声が太公望や楊ゼンたちのところに届く。声の主は高蘭英だった。


「…言えた義理ではないけど、ここはあの人を信じて任せてあげて」


「しかし、このままでは張奎は…」


太公望は気遣うように高蘭英を見やる。すると高蘭英の表情に笑みが浮かんだ。ゆっくりと、何かを振り切るように首を左右に振る。


「あの人は、必ず禁鞭を使いこなして勝つわ」


どこか願いが込められたような言葉だとは思った。だが、高蘭英のその言葉はなぜか確信めいて聞こえた。きっと、ここにいる誰よりも彼女は張奎のことを信じているのだ。


「…分かった」


高蘭英に、太公望は頷いた。その様子にも、妲己は表情を変えることはなかった。笑みを浮かべたまま太公望たちを見下ろしている。ただの傍観者のように。は高覚の根から目を離し、妲己を見上げた。
と、妲己と視線が交差する。思わずは目を逸らした。


「…高覚ちゃん、土の中の様子はいかがん?」


妲己の声色は変わらず穏やかなままだ。


「はい、妲己さま。敵は私の根により締め上げられ、五体バラバラも時間の問題かと」


太公望のすぐそばの土が盛り上がり、高覚の顔が出てきた。不意打ちに、太公望はその場から飛び退いた。


「いや〜ん、もう終わり〜ん?早すぎ〜ん」


「申し訳ございません」


妲己は楽しそうに言った。そのとき、土の中から低い音が響いてくるのには気付いた。太公望や楊ゼンたちもそれに気付く。ナタクと燃燈は、その音に気付いても全く動じなかったが。


瞬間、地面から禁鞭が幾本も飛び出してきた。一つは土の上に出てきていた高覚の頭に命中し、他は全て、瞬く間に土を弾き飛ばしていった。掘り返された土は土煙と共に舞い上がり、そしてまた落ちた。闘技場の中心部分から円を描くように土は蹴散らされ、その下にあったものの姿を外気に曝す。


そこは、残らず全て高覚の根が張り巡らされていた。不死身であるかのように際限なく高覚が攻撃できたのは、今までの根が高覚のたったの一部分だったからなのだ。土の中に潜んでいた高覚の本体は巨大な植物の根そのものだった。その中心辺りに、絡み付かれて見えなくなっていた張奎の姿があった。禁鞭をその手に持ち、高覚を見据えている。


「土の中で養分を吸ってる限り、確かにおまえは無敵に違いない…だがここの土には限りがある」


未だ肩で息をしながら、張奎は言葉を続けた。


「…禁鞭の真の力を持ってすれば、これしきの土を弾き飛ばすなんて楽勝なんだ」


観客席から、張奎に対する歓声が上がった。もちろん崑崙山組と、高蘭英も笑顔で張奎を見つめていた。燃燈も小さく笑みを浮かべた。誰も見ることはなかったが。


「貴様…」


高覚の低い声が響く。


「よくも私の姿をさらしものに!」


怒声と共に、太い根が張奎に向かってくる。張奎は禁鞭を握りしめた。力を込め、禁鞭を振る。先程の、闘技場に上がったばかりの頃とは禁鞭の動きも違っていた。禁鞭は高覚の本体を貫く。
観客席は一気に盛り上がった。歓声と罵声が交じり合う。そのために、張奎が呟いた聞仲への別れの言葉は、沢山の声に紛れて消えた。


































      



2006,3,12