ここがきっと、そこへの扉。だけど絶対開けてはいけない。引きずり込まれてしまうから。 部屋の話 迷った。 「…どうしよう」 は見たことのない場所に突っ立っていた。どうしてこんなことに。どこで間違ってしまったのだろうか。 「、悪いがこれを太乙のところへ届けてくれるか?」 「太乙さんですか?届けます!」 十数分前、は原始天尊からおつかいを頼まれた。なんでも太乙に至急届けねばならないものがあるらしく、しかし原始天尊は他の十二仙の一人から今すぐ来てほしいと呼ばれてしまったそうで、いつもなら白鶴に頼むような用事をに頼むことになった。なにしろ白鶴は崑崙山内部にとても詳しく、もう既に原始天尊の右腕のような働きをしていた。なのだが、今その白鶴は、原始天尊に頼まれて太公望を探しに行っており留守だった。 「おそらく、いま太乙のおる場所はこの紙に書いてある部屋だ。…分かるかの?」 不安げに原始天尊は、簡単に地図を書いた紙をに渡す。不安要素はいくつかあった。一つははまだあまり崑崙山内部に詳しくない。もう一つは、今太乙がいるはずの部屋には行ったことがなく、更にその部屋というのが結構入り組んだ場所にあるということだった。しかしそんな原始天尊の不安をよそに、は嬉しそうにしている。 「はい、いってきますっ」 そしては小さな包みを言付かり、右手には原始天尊からもらった地図を握りしめ、玉虚宮を後にした。 太乙のことは十二仙の中でも好きだった。がこの仙人界に来て出会った二人目の仙人だったために他の仙人たちより親しみやすかったことと、次会ったときにまた親しげに話しかけてくれたことが理由として挙げられる。もちろん一人目は元始天尊だったのだが。 が仙人界に来て一年と数ヶ月が経った。は11歳になり、それなりに仙人界の生活にも慣れてきたところ。 「…この紙のとおりに来たはずなのに」 じっとは地図の書かれた紙を見つめる。どうしよう。この崑崙山、外観だけだとただの大きな岩のように見えるのだが、中がけっこうややこしい造りになっている。ごちゃごちゃと沢山の部屋や道で詰まっており、外に近い場所だと廊下が広かったり窓があったりして分かりやすいのだが、内部にいくにつれて迷路のように沢山の通路があちこちに続いていた。一年ほどで仙人界の生活自体には慣れることが出来たものの、崑崙山内の正確な道筋や部屋の配置までは覚えていない。 もと来た道を戻るしかないのかなと思い、は小さく溜息をついて紙切れに目を落とした。しかし、数秒間紙と睨めっこをして、無理であることに気付いた。いまのいるこの場所が、この地図のどこにも書かれていないのだ。驚いては顔を上げ、辺りをきょろきょろと見渡す。どこから間違えたのだろう。というか、なんでここまで来ることが出来たのだろう。 は、今いる広い廊下の壁に付いている、窓を見上げた。窓はの頭より上の高い場所についており、外は見えない。青空だけが見えた。窓があるということは、そんなに内部には来てないはずだ。外に出て空でも飛べたら、玉虚宮まで戻ることが出来るのに。中からだとややこしくても、外からならばおそらく崑崙山を一周もすればどこに玉虚宮があるか分かるはずなのだ。ここは崑崙山で言ったらどの辺なのかな。窓を眺めても見えるのは空ばかりで、目印になるものなどあるはずがなかった。 「誰か通らないかなぁ…」 太公望は白鶴が探している最中だし第一こんなとこ来ないだろう。太乙は今から自身が届けものをしなければいけない張本人である。だから間違いなく、この地図に書いてある目的地の部屋にいるはずだった。通るはずがない。元始天尊は、 「…あ」 そこまで考えて、ぱっと頭にひらめいた。そうだ。 「千里眼」 元始天尊は千里眼を持っている。何でも見える、魔法の眼のようなもの。少し頑張ればどんなものでも見ることが出来るのだ、と原始天尊は以前教えてくれた。とすれば、自分が今ここでこうして迷っているのも分かるはず。 「そうだよ」 解決策が見つかって少し嬉しくなるのと同時に、はほっとした。元始天尊に助けを求めれば問題ないではないか。しかしそこまで考えて、再びの思考はストップする。元始天尊はがここで迷っていることに気付くだろうか、と。 「……気付かないかも」 に使いを頼んだほどだ。原始天尊には用事があった。十二仙から呼び出されたのだと言っていた。今は、千里眼で何も見ていないかもしれない。というか、がちゃんと太乙に届けたかどうかなんて、それを千里眼をわざわざ使って見るなんてしないかもしれない。ここに来るまで、は道に迷ったとは気付かなかった。の間違いを正そうとする者は誰も来なかった。つまり、元始天尊はが道を間違って今現在、迷っているなんて知らないということではないだろうか。 「…はあぁ」 は深くため息をついた。とりあえず、来た道を思い出しながら戻ってみることにしよう。そう考えてはくるりと踵を返し、再び歩き出した。 「…ここどこ」 何でこんなところに。というか、どこだここは。 目の前には、大きな扉。来た道を戻ったはずだった。いや、戻りたかったはずだった。が今いる場所は、窓もなく薄暗い廊下の突き当たり。大きな扉の正面。最初この扉を廊下の向こうから見たときは、玉虚宮の扉かと思った。しかし近づいてみると、少し形も違うし、色も違っていた。玉虚宮と同じなのは、大きく、重そうな扉だということだけ。それに、ここの廊下には窓がなかった。外からの光が入らず薄暗く、天井に付けられた電球が辺りを照らすだけだ。これがなかったら、真っ暗かもしれない。 は途方に暮れて、目の前の大きな扉を見つめた。玉虚宮の扉と同じくらいの大きな扉。仙人界に来るまで、こんなに大きな扉は見たことがなかった。朝歌の城にはこれくらの扉があるのだろうか。 ――この中には、何があるんだろう。 少しの好奇心が芽生える。玉虚宮みたいに、大きな部屋があるのかな。それよりも、この扉は開くのかな。 はそっと、その扉に手を寄せた。ひんやりと冷たい。少し埃っぽいということは、ずっと使われていない部屋なのだろうか。今度は両手を扉につく。 「…よっ」 思い切り、力いっぱい押してみた。扉特有の軋む音が小さくして、それは少し動いた。私の力で開くなんてけっこう軽い扉なんだなとは思いながら、なおも扉を押してみた。そして人一人が入れるくらい扉が開いた途端、ひゅうと、弱く柔らかい風が中から吹いてきた。 「…わ…」 頬を撫で、髪と服を揺らす。その風は一瞬だけで、すぐにどこかに消え去っていった。中に、窓があるのかな。その窓が開きっぱなしとか。は恐る恐る中をのぞいてみた。そこは、玉虚宮よりは少し小さい、それでもとても広く真っ白な部屋だった。人の気配はない。真っ白で、無機質な部屋。 「…あれ?」 しかしそこには、窓はおろか電球さえなかった。おかしいな、風が吹いてきたのにとは首を傾げる。それに加えて、もう一つおかしいことに気付く。この部屋には電気がない、窓もない、つまり、光源が一つもない。なのに、部屋の中は全体を見渡せるほどに、全く暗くなかった。白いから暗くないのかな、雪の積もっている夜みたいに。は考え、そうかもしれない、と一人納得した。なんとなく部屋の中の方まで入ってみたくなった。そして、部屋の中に完全に足を踏み入れようと、 「わーっちゃん!」 後ろから、勢いよく引っ張られた。から手を放され、バタン!と音を立てて扉は閉まった。 「駄目駄目駄目駄目!この部屋に入っちゃ駄目だよ!」 肩で息をしながら、を後ろから抱き上げるようにして押さえているその人は慌てながら言った。 「…太乙さん」 後ろから伸ばしている手の主を見上げ、は呟いた。太乙は、大きく息をつく。 「この部屋には入っちゃ駄目なんだよ。元始天尊さまの言い付けでね。通称「開かずの間」さ」 太乙は言いながら、腕の力を緩めてを放す。 「元始天尊さまの?入っちゃ駄目なの?どうして?」 は訊ねる。 「さぁ…理由は分からないけど…。他の仙人たちも知らないようだよ」 そういえばどうしてなんだろう、と言うように、太乙は首を傾げた。 「他の人たちはここに入ったことはないの?太乙さんも?」 「私も勿論ないよ。他の仙人たちも…入ったことはないんじゃないかな」 なにしろ、元始天尊さまの命令でここは開けられないんだからね。 「…ところでちゃん、部屋の中、見たの?」 「うん、見ました」 「何があったか、見た?」 ぱっと太乙の顔が明るくなる。興味津々という顔で訊ねてくる太乙に、は笑う。今まで中を見たことのない部屋。何があるのか気になるのは当たり前だった。 「真っ白な部屋だった」 淡泊に、は答えた。 「…真っ白?部屋の中には?何もなかったの?」 「…うーん、なんかただ真っ白でした。部屋の中には…たぶん何もなかった」 そういえばおかしな部屋だった。もっとよく見ようとしたところで太乙に引っ張られたためによく見えなかっただけなのかもしれないが、真っ白で、何もなかったように思う。広い空間が白で埋め尽くされているだけ。の答えに太乙はますます首を傾げる。 「…ま、いいか。それよりちゃん、私に渡してくれるものがあったんだろう?」 「あ、そうでした」 「元始天尊さまのところに行ったら、もうに渡すよう言付けたって言われてね。でもその部屋に帰っても何も届いてないし、ちゃんは来ないし」 迷っていたからだ。届くはずはないし、行けるはずもなかった。 「だからちょっと散歩がてらにちゃんを探しに行ったんだけどどこにも見当たらないし、とりあえず適当に探したら、ここだったね。どうやって来たの?」 こんな奥の部屋まで。 「それにこの扉も、誰も入れないように元始天尊さまの術が施されてるはずなんだけどなぁ」 術の効き目が緩くなってるのかな、元始さまに言っておこうね。そう言いながら、太乙はに笑いかける。 「私、道に迷って、もと来た道に戻ろうとしたらここに来たんです…。…この扉も、開けちゃいけないって知らなくて…」 「分かってる分かってる。大丈夫、元始さまにもちゃんとそう言っておくから」 笑いながら、太乙はの頭を撫でた。 「じゃ、戻ろうか」 そう言って、歩きながら太乙はから包みを受け取る。 「それ、なにが入ってるんですか?」 軽くて、小さな包みだった。は尋ねた。 「これかい?これはね、新しい宝貝を作るための材料が入っててね。一つだけ足りないものがあったから元始さまに頼んでたんだ」 良かったよ、これで作れる。うきうき、という様子で、太乙は包みを大事そうに右手に持った。 「そうだちゃん」 呼ばれ、は太乙を見上げる。 「いいかい?もうあの部屋には近づいちゃ駄目だよ。今日は知らなかったから良いとしても、またもしあの扉を開けようとして見つかっても、今度は私は庇ってあげられないからね」 一度目ならまだしも、二度目だと。しかも入っては駄目と言われている部屋なのだ。太乙の言葉に、は黙って、深く頷いた。 「でもあの部屋って、本当に何なんだろうね。いつか私も入ってみたいなぁ」 変な部屋があったものだ。後で太公望に報告しようかな。は心の中で思った。そしてやっぱり、機会があればまた行ってみたいな、とも。良い感じも嫌な感じも受け取らなかったあの部屋。どんなだったかと感想を聞かれても、きっとなんて答えればいいか悩むだろう。ただ、真っ白なだけ。それ以外には何もない。 …ま、良いか。 は自分を納得させるように、小さく頷いた。不思議な部屋、大きな扉、真っ白の広い空間。 後々、その部屋の話を聞かせた太公望が自分も行きたいと言い出したため、は太公望とともに扉探しにこっそりと行ったのだが、元始天尊が術か何かで隠したのか、全く見つからず、どこをどう歩いても辿り着かなかったというのは、また別の話。 戻 後田さんにお誕生日プレゼントとして送りつけた番外編でした。 |