私の師匠は変な人だ。 は薄々そのことに気付いていた。 兄弟子である雷震子は何ヶ月も不在である。その兄弟子に対する師匠の実験意欲ぶりを思い出してみても、およそ「師弟愛」などという言葉とは結びつかないものだったことを、はたぶん分かっていた。雷震子がいなくなったことでその実験意欲が、自分に向かないだろうかとは不安に思ったこともあったが、雲中子は、何か作業を手伝わせることはあっても、を使って実験を行うことはなかった。 「いいか、師匠に何かされそうになったら逃げた方がいい。おまえは俺の二の舞になるな」 優しい兄弟子はにその言葉を残し、人間界に降りていった。今はどうやら太公望という人のところで、封神計画に荷担しているらしい。結果的に師匠の「実験」は雷震子の「能力」として役立っているのだそうだ。 宝貝がいまだ与えられていないは、雷震子のことが少し羨ましかった。杏を食べて身体が変化するというところはいただけないが、自分独自の力を身につけ、人間界で戦ったり誰かの役に立ったりしているだろう兄弟子を羨ましく思っていた。 「は最近よく地上を見下ろしているねぇ」 我に返り、は後ろを振り向いた。白い服を着た師匠が腕に大きな木箱を抱え、そこに立っていた。木箱からは緑色の植物がはみ出している。今度は何を作るのだろうか。 「人間界に行きたいの?」 思わぬ質問には思わず首を左右に振った。の反応に、雲中子はきょとんとする。 「別に咎めたりしないんだし、素直に言えばいいのに」 そう言うと、木箱を持ったままくるりと背を向けた。慌ててはその背中を追いかける。 「雷震子は、元気にしてるかなって、思って」 嘘ではない。雲中子は隣に追いついたの顔は見ず、ふうんと言った。 「心配してくれる妹弟子がいてくれて、雷震子は幸せ者だね」 部屋の中では、大きな鍋が火にかけられ、ぐつぐつと音をたてていた。そしてよく分からない匂いが立ちこめている。色んな薬草が混じり合ったような匂いだった。雲中子は木箱に入っている薬草を大鍋へ手際よく入れる。 「師匠、これは何を作ってるんですか?」 は雲中子の横に立って大鍋を覗いてみた。真っ白い湯気の下で、沢山の葉っぱが青々と揺れていた。 「怪我によく効く薬。包帯に染み込ませて患部に巻くと治りが早い」 へえ、とは鍋をじっと見つめる。そんなの横顔を、雲中子はちらりと見た。 「もうすぐこういうものが沢山必要になるかもしれないからね、今のうちに作り置きしておくんだよ。今からにも、同じことを一過程全部やってもらうから」 は驚いた。今までに雲中子が自分に何かを丸ごと作らせることなどなかったからだ。何か薬を作るときでも、何か得体の知れないものを作るときでも、雲中子はに作らせることはなかった。宝貝も与えてもらっていないは、薬草の名前を覚えたり、雲中子のそういった作業を少し手伝うか眺めていることが多かった。 驚いたまま返事をしないを、雲中子は見る。 「いやなの?」 「やります!」 思っていたより大きな声で返事をしてしまい、は自分で少しびっくりした。雲中子も同様だったらしい。 「……なら、いいけど。作り方や分量は、今からちゃんと教えるから」 雲中子に、はこくこくと頷いた。 「は薬草なんかの名前覚えるの、結構早いからね」 は、雲中子の表情がいつもより嬉しそうに見えた。もしかしたら、自分が嬉しいから、そう見えただけだったのかもしれない。 雲中子に材料を教えられ、メモした紙を持ったは嬉々としながら、カゴを持ちさっそく採取に行こうと部屋を出ようとした。 「」 名を呼ばれ、は振り返った。 「残念だけど、きみを人間界にやるつもりはないから」 は笑顔のまま、動きをぴたりと止めてしまった。そのまま固まる。 「一緒に頑張ろうねぇ、」 弟子に新しいことを教えようとしてくれているはずの師匠が、にやりと笑ったのを、は見た。 私の師匠は変な人だ。それも、すごく。 戻 2008,7,26 |