誰にも言ってないことがある。


「天化ー、なんかコーチが用事だって。すぐ来いって」


「コーチが?何の用事さ?」


「さぁ、そこまでは聞いてないけど。あ、もしかしてコーチが大事にしてたウェア破ったことばれたのかな。もしくはこの間力余りすぎて壁壊したの気付かれたかな」


「…何でも良いけど、それ両方、がやったことさ」


「いってらっしゃい天化!くれぐれも余計なことは言わないでください」


そう言って、笑顔で、手を振る。何気ない動作や、言葉。
はいはいと軽い返事を返し、何の気なしに、さりげなく後ろを振り返る。いつものように、ゆったり のんびりと景色を眺めていた。柔らかい風に吹かれ、ふわりと、その場から消えてしまうのではないかと思わせる姿。彼女のようにゆっくりとした時間が流れる毎日。平和で、居心地も良かった。ついさっきまで天化が居た場所にじっと立って、彼女は地上を見下ろしている。


ふらりと、彼女が自分の視界から消えてしまったような錯覚を覚えた。


次には、彼女の腕を掴んでいた。突然のことに驚いたらしく、目を丸くしては天化を見上げた。


「……どうしたの?」


きょとん と首を傾げるに、


「……いや、……何でもないさ」


そう言って、掴んでいた手を放した。そう?と、は半ば腑に落ちない表情で、だが再び小さな笑みを作る。


あのときのあれは、何を暗示していたのだろう。それも、今なら少しだけ、分かる気がする。あれはきっと、彼女に起こることではなく、自分に起こることだった。


あのとき、あれからずっと、手を放さずにいたならば、もしかしたら。


彼女は毎日、ここまでやって来る。彼と、もう1人、彼女の師匠である人物の元へ。それは彼にも同じ存在。彼と彼女の、唯一無二の師匠。その師匠も同じように、ここにいるから。


「今日はね、太乙真人さんが崑崙山2なんていうの作り出してね。すごいんだよ、なんか色々機能があって…、…あれ、詳しく聞いてきたんだけどな機能全部……」


なんだったかな。は腕組みをして考え出す。その表情には、いつものような優しさが。天化が、ここに来る前と同じ。


「私にもスースくらいの頭があったら一気に覚えられるのにねぇ。……今度ちゃんとしっかり聞いて暗記してくるから楽しみにしてて!」


彼女の笑顔につられたように、自然と笑顔になった。


「さて、じゃあコーチに会って、今日は帰るね。また明日、来ても良い?」


「来るな、なんて言ったことあったか?」


「ない」


彼女は本当に、嬉しそうに笑う。そしては、身軽にそこから乗り物へと飛び乗った。ここと向こうを繋ぐ架け橋のようなもの。そしていつも、そこから笑顔で手を振ってくれる。けれど、本当は知っている。ここと向こうとを繋ぐ、あの乗り物の中で、本当は1人で泣いているということを。本来なら不要のはずだったその涙を流させているのが、自分だということを。


誰にも言ってないことがある。彼女の笑顔が、こんなにも大切だったのだということ。いつも笑っていてほしいと思っていること。今になって、ようやく気付いた。もう触れることも出来ないのだと、出来なくなって初めて気付いた。


「天化。今日はね、」


そう言って、変わらず笑ってくれる彼女に、これ以上の笑顔は望まない。これ以上の涙も望まない。今度までには、今度までにはと、何度思ったことだろう。


伝えてないことがある。彼女にさえも。言ってないことがあるから。















封神夢まつりさまに献上したもの。