「忘れものをしていったから届けてほしい」と、そう頼まれた。


「天・化・くん!」


「……気持ち悪いさ、さん」


にこにこ微笑みながら手を後ろで組み、軽やかな足取りで天化に近付いたは、不審なものを見るあからさまな目を向けた天化本人に一蹴された。
だがそれでも、の顔は変わらず笑みが浮かんだまま、今のことに気分を害した様子はない。


「なんか用さ?」


訊ねると、の笑みはさらに増したように見えた。これはかなり機嫌が良いな、と天化は思う。珍しい。


「忘れものよ、天化」


後ろ手で組んでいたそれを離すと、左手を天化に差し出す。左手の指に、小さな小さな布の袋がさがっていた。それは巾着袋のような作りになっていて口が閉じられており、開かないようにしっかりと糸で縫いつけられている。
天化は驚いた。なぜこれがの手に。
そんな天化の心中が伝わったらしい。


「届けてくれって頼まれたの。人間界のとある場所で、小さな宿屋を営んでる可っ愛い子に」


のにこにこは、にやにやに変わっていた。あああそこか、と天化は表情に出さずに、本当に小さく溜息をついた。


「これ、お守りでしょう?武成王も同じものを持っているの、見たことがあるわ」


「…おふくろが、家族全員に持たせてるやつさ」


天化の母、つまり武成王の妻である賈氏は朝歌の禁城で亡くなってしまった。
の表情が一瞬、凍るように消えたのを天化は見た。は全て知っている。封神計画に直接参加はしなかったものの、天化の師匠である道徳と仲が良いには、封神計画についての様々な情報が流れていた。


「ありがとうさん、大事なものだったから、なくしてたら大変なことになってたさ」


天化は笑みを見せて言った。
は優しい。だから、いつもと同じように言葉を紡いで明るく言えば合わせてくれる。そして天化の予想通りは笑い、「どういたしまして」と言った。


「でも、そんなに大事なものならどうして忘れたのかしら」


ふと思い付いたらしかった。はぽつりと表情のないまま呟き、だがそれはすぐに笑みに変わる。楽しいことを思い付いたときに見せる顔だ。天化は嫌な予感がした。


「大事なものを忘れるなんて、一体なにをしていたの?」


天化の顔を正面から見つめ、はにやにやしながら訊ねた。天化は、今度は隠すことなく溜息をつく。


「……残念だけど、さんが考えてるようなことは何もないさ。お礼を言いに行っただけだから」


「そうなの?」


の顔が笑みから、つまらない、を全面に出した表情になる。「当たり前さ」と天化は頷く。


「…ふぅん」


くるりと踵を返しては天化に背を向ける。


「でも、それが一番いいかもしれないわね」


はまた後ろ手を組んだ。手に何も持っていないと腰の辺りで手を組む。彼女の癖だ。そしてはふと空を見上げた。


「不老不死である仙道が、人間界の人を好きになっても報われないだけだもの」


ふふ、とは笑う。天化は眉を顰めた。


「……さん、そんな経験があるさ?」


天化はの背中に訊ねた。ひゅう、と二人の間に冷たい風が吹き抜ける。は答えない。そして天化の方を振り返ったは柔らかい笑みを浮かべていた。


「あの子、名前なんていうの?聞いてくるの忘れちゃって」


あの子というのは、例の宿屋の娘のことだ。


「そういえば、さんはなんであんなところに行ったさ?」


「……あー、暇だったもので、封神計画のみんなが通った道などを暇つぶしに歩いてみたりして」


がそう言うのだから疑う理由はない。だが、今の言葉を信じるも信じないも天化の自由だった。


先程の冷たい風の後、空からは冷たい雨が降ってきた。どこかの誰かが泣いているような、ぽつぽつと雫のはっきりした雨だった。











2006,12,10