「太乙さまー」


自分の知っている中で一番高いオクターブを持つ声。呼ばれて、太乙は後ろを向いた。


、どうし」


そして振り向いた太乙は、自分を呼んだ声の主であるがその手に持っているものを見て、思わず固まった。本人はなんの感情も浮かべていない顔で、それをこちらに差し出している。


「腕、取れちゃった」


一瞬の沈黙の後、太乙は勢いよく椅子から立ち上がっての正面に立つと、の頭を軽く叩いた。ぺしん、と乾いた音がする。「あいた」とは思わず声を出していた。


「もーきみは本っ当によく負傷してくるね。修理する私の身にもなってくれない?またナタクと戦ってたのかい?」


大きく溜息をつきながら太乙はの手から腕を取り上げると、それの様子を見て再び溜息をついた。


「好きで取ったわけじゃないわ。ナタクのナントカっていう宝貝が運悪く当たって取れちゃったの」


言い訳するように太乙の顔を見ながらが言うと、太乙は「当然です」と言った。


「自分で自分の腕取るような狂人めいた子に育てた覚えはないからね」


は黙り込み、二の腕から下が無い自分の右腕を見下ろした。なんとなく不格好な右腕は、下三分の二くらいが無くなっているがしっかり動く。痛みはもちろんなかった。


「きみたち二人はさ、同じ宝貝人間で、しかも兄妹弟子なんだからもっと仲良くできないわけ?」


「仲悪くなんかないよ。今日だって修行みたいなもんだったもん。ただ途中からお互い本気になっただけで」


「…それで、ナタクは?」


「知らない。私、腕取れちゃったから休憩って言ったらどっか行っちゃった」


太乙は三度目の溜息をついた。するとは、突然思い出したらしく「そういえば」と呟いた。


「最近のナタクって変なの」


「どの辺がだい?」


「人のこと気遣ったりするの。腕取れたとき、攻撃やめて大丈夫かーなんて言うのよ。前までこんなことなかったでしょ?むしろこっちがどうなってもお構いなしで攻撃してきてたのに」


が言うと、太乙は笑った。


「封神計画で、あの子は色々なものを得たんだよ」


言いながら、太乙はくすくす笑っている。は首を傾げた。封神計画は、少し前に終わったという崑崙山での計画のことだった。なんでも妲己という仙女を倒すためのものだったのが、実は崑崙山の教主である原始天尊の企みで作り上げられた計画だった、というような風に、は大まかなことだけ聞かされていた。よく理解は出来なかった。


「ねえ太乙さま、どうして私はその封神計画に荷担できなかったの?」


ナタクは、太公望という計画実行者に付いて封神計画に荷担していた。は、封神計画というもののことは少しだけ教えられていたが、それに協力するために人間界に降りることはなかった。太乙は驚いたようにを見つめた。


「私もナタクみたいに封神計画のために人間界行ってみたかったな」


「だめだめ、は確かに宝貝人間ではあるけど女の子だろう?それにナタクと同じ宝貝人間といってもきみたちには大きな力の差があるんだから。が人間界に降りていいなんていう許可は下りなかったよ」


「その許可は誰が下ろしたり下ろさなかったりするの?原始天尊さま?」


「…最初の許可は私だけど」


「どうして下ろしてくれなかったのっ?」


「当然だろう?があんな計画に荷担するなんて、危ないじゃないか。相手は妲己や聞仲だったんだからね。それにちゃんと考えてみなよ、今回の封神計画に崑崙山から誰か女の子…女性が荷担していたかい?」


「…男女差別。男尊女卑だ」


「そうじゃなくて…。というかそんな言葉どこで覚えたんだい


「あのー、お取り込み中悪いんだけど」


向かい合って言い合いをしていた二人の隣に、突然ぬっと現れた人に太乙とは驚いて思わずその場から飛び退いた。


「…そんなに驚かなくてもいいのにねぇ」


苦笑したようだが、その人の笑みはにやりと笑ったようにしか見えなかった。


「…雲中子、いつの間に入ってきたのさ。相変わらず気配がなかったんだけど」


「あんまり二人の話が白熱してたもんでね、声をかける機会を失ってたんだよ」


「雲中子さまどうしたの?」


、どうしたんですか、だろう?」


太乙が訂正すると、は少し頬を膨らませてぷいとそっぽを向いた。その様子に雲中子はにやにやと笑っている。


「さっきまで弟子で遊ん…、弟子と実験をしていたんだけど、その弟子がきみんとこの弟子と連れ立って外に行っちゃってね。暇だから、同じく暇だろうきみにお茶でもいれてもらおうかと思って」


きみんとこの弟子、というのはナタクのことだ。どこかに行ったらしいナタクは雷震子のところへ行っていたのか、と太乙とは思った。


「あ、それとこれ、ついでに頼まれてたやつ」


雲中子は太乙に、持っていた紙袋を渡した。中を見ると、以前宝貝作りに必要だからと頼んでおいたものが入っていた。


「普通こっちが本題なんじゃ…まぁいいや、お茶いれるよ」


そう言うと、太乙は部屋から出て行った。雲中子は、未だ心なしか膨れ面に見えるに目を向けた。


「また派手にやったねぇ。腕がないじゃない。ナタクと?」


まじまじとを見ながら、雲中子は訊ねる。こくりとは頷いた。


「…どうしてナタクはよくて、私はだめだったんだろう」


「封神計画のことかい?」


雲中子に、再びは頷いた。


「…ま、理由は色々あるだろうけど、大きな理由の一つは太乙が言ってたように危ないから、だろうね」


「私が女の子だから?…ですか?」


「そうじゃないよ、性別は関係ない。もしもう少し封神計画が長引いていたら、竜吉公主なんかも人間界に降りるよう命じられていたはずだしね」


竜吉公主。はまだ会ったことがない、純血の仙女と言われる人だった。仙人としてとても大きな力を持っているのだという。


「太乙も言っていただろう。きみとナタクは同じ宝貝人間とは言え、力の差がありすぎる。はっきり言っちゃうと、きみには封神計画に荷担するだけの力がなかったんだよね」


雲中子の言葉に、は俯いた。の様子を見て雲中子は苦笑する。


「そんなに落ち込まなくても、も頑張って修行でもすれば強くなれると思うよ、たぶん」


目だけで雲中子を見上げる。雲中子の顔はどことなく困っているように見えなくもない。珍しい。


「……本当に?、ですか?」


「うん、たぶん」


こっくりと頷く。


「もしあれだったら、うちの弟子みたいにある日突然力を付けてあげてもいいけど」


「それはいい。遠慮しとく…、です」


にやりと笑った雲中子に、すかさずは返した。の喋り方に雲中子はなんとなく笑いを堪える。膨れ面をしてそっぽを向いていたにもかかわらず、はちゃんと太乙の言いつけ通り、雲中子に対して丁寧な喋り方をしようとして、しかしあまり出来ていなかった。その姿はやはりおかしい。だが正面から笑ってはどこか悪いような気がして、自身には悟られないよう密かに笑っておいた。


「私もみたいに素直でかっわいい弟子が欲しかったなぁ。分けてもらいたいくらいだよねえ」


わざとらしく雲中子は大きな溜息をついた。


「雷震子は?」


「まあ…確かにあいつは素直ではあるけどね」


雲中子が言ったちょうどそこで、太乙がお茶を三人分淹れて戻ってきた。そして湯気の立つ湯飲みを渡しながら、太乙は言った。


「言っておくけど、分けないからね」


「…分かってるよ」


そんな呪い殺されそうなこと、誰がするか。熱いお茶を一口飲んで小さく息をつき、「はこっち。腕直すから」と言いながら、まだ一口しか飲んでないとぼやくを引っ張っていく太乙を見て、雲中子はこっそり思う。











2006,11,26