今は死んでいなくなった祖父が一度だけ言ったことがあった。祖父は子どもだったとき、仙人になりたいと思ったことがあるそうだ。もその昔、まだ幼かった頃、王宮のお姫様になりたいと思ったことがあったし、その類だ。 仙人になるためには条件があるらしい。どういう条件なのかは誰からも聞いたことがなかったし、それというのもの周りに、それがどういう条件なのか知っている人間がいなかったからなのだが、そういうわけではどういう人が仙人になれるのか知らなかった。あまり興味もなかった。 は北伯侯の治める土地に住んでいる。北伯侯には弟が一人いて、名は崇黒虎と言い、はちょうど「お姫様になりたい」と言っていたくらいの頃に会ったことがある。崇城に仕えていた祖父について、城まで出向いたときに一度だけ。その崇黒虎は仙人になるための条件を持っていたらしい。仙人界に行き、道士となったそうだ。 「よいしょっ…と」 は木の箱を持ち上げる。箱はとても大きい。中には崇城に届ける野菜や果物が詰まっている。数年前まで城で働いていたお婆さんが、とても良い出来の野菜と果物がなったから城に届けたいということで、家が近所であるが請け負うことになった。祖父が亡くなった後、は祖父の跡を継ぐように城に入った。今もそのまま城で雑用のような仕事をしている。出勤ついでに城に箱を届けると言うと、お婆さんはとても喜んでくれた。 「ちゃんが力持ちで本当に助かるわねえ」 笑顔と共にそんな言葉をもらいも笑みを返したものの、内心ではあまり嬉しくなかった。小さい頃から、特に鍛えているわけでもないのに力持ちで、大人の男すら音を上げてしまうような重さのものを持って運ぶことが出来た。便利には便利なのだが、にとってはあまり嬉しくない持ち物だった。たまに好奇の目で見られることがあるし、力が強いということで恐がられることもあった。 「やー頑張るねぇ」 後ろからどこか気怠げな声がかけられる。振り返ると、右腕に少し大きな丸っこい鳥をのせた男性が立っていた。見覚えがある気もするが誰なのか分からず、は眉を顰める。するとそんなの様子を素速く察知したのか、その人は「覚えてないかー」と呟き、へらりと笑った。 「きみが働いてる崇城の主、崇候虎の弟の崇黒虎。一回だけ会ったことあると思うんだけどなぁ」 驚いては目を見開いた。 「崇黒虎さまでしたか、大変失礼しました」 慌ててそう言って頭を下げると同時に木箱も傾いて、中にいっぱいに詰まっている果物のいくつかが転がり落ちてしまった。自分の足下まで転がってきたものを拾い上げながら、「いいよ別に気にしないし」と崇黒虎は言ってを見る。も崇黒虎を見返すと、そう言われてみれば一度だけ会ったときの記憶の中に、崇黒虎の顔がなんとなく当てはまったような気がした。 「重そうなもん持ってるねぇ、力持ちだって話は聞いてたけど」 の持つ箱の中に果物を返すと、その箱をまじまじと見つめながら崇黒虎は言った。一瞬、の表情が歪む。崇黒虎はその変化を見逃さなかった。 「…崇黒虎さまのような方に呼び止めていただいてなんですが、私急いでいるので、失礼します」 一歩後退して、もう一度は頭を下げながら言った。今度は箱の中身が落ちないように注意しながら。 「仕えてる城主の弟にそんな態度でいいのかねぇ、ちゃん」 崇黒虎に背を向けて歩き出そうとしていたは足を止める。崇黒虎の声は少し笑っているように聞こえた。顔だけ後ろを振り返ってみると、崇黒虎の顔はやはり笑っていた。 「…生憎私、崇黒虎さまの顔をはっきり覚えていないのです。あなたが本当に崇黒虎さまなのかどうか、」 「生憎俺、本物なんだなぁ。きみがまだ4歳だったか5歳だったかのときに仙人界に行ったね。きみとは確か仙人界に行く数日前に初めて会ったんだったかな」 箱を両腕に抱えたまま、は崇黒虎に向き直る。無意識だったのだが向き直るのと一緒に、気付かれないよう小さな溜息をついていた。 「それは大変失礼をいたしました。それで、北伯侯である崇候虎さまの弟ともあろう方が、私のような下っ端の雑用係にどういったご用件でございますか」 今度は少し申し訳なさそうな声色にかわっていた。それでもその顔には愛想笑いの一つも浮かんでいない。思わず崇黒虎は苦笑した。 「他の人より力持ちだってこと気にしてんの?便利な特技だと思うけど」 「…使えて便利だということと、それに対して嬉しいと思うことは別ものです」 「あぁ、それはそうかも」 なるほどなぁ、と崇黒虎は頷く。するとそこで、彼の腕にのっている鳥が思わず脱力し「あんさんいい加減物事をさっさと進める術を身につけた方がいいかいな」と呟いたのが聞こえた。見たことのない珍しい鳥だとは思っていたが、喋るところをみるとどうやら霊獣だったようだ。 「久しぶりの人間界が嬉しいのは分かるけど、あんさんちょっとのんびりしすぎかいな」 ぐもぐもと変わった鳴き声と共に鳥が言う。へらへらと笑いながら崇黒虎は鳥に謝っていた。は鳥と崇黒虎を見つめていた。早く城に行きたいのは本当なのに、妙な足止めを食ってしまったものだ。 「実は俺の師匠が風邪で寝込んじゃってねぇ、だから俺が代わりに来たわけなんだけど」 「…はあ」 何の話だとは心の中で密かに思う。師匠というのは、もちろん仙人界での崇黒虎の師匠のことだろう。つまり仙人だ。 「きみを迎えに来た」 城からだろうか、とは首を傾げる。意味がよく分からない。 「ちゃんには仙人骨がある。その異常のように思える腕力は、きみが天然道士だからなんだな」 ぽかんと口を開け、は呆けた。その目はしっかりと崇黒虎を捉え、その腕はしっかりと木箱を抱えていた。 「ちなみに師匠は俺と同じ人ね」 崇黒虎の腕にとまっていた鳥が突然そこから足を離したかと思うと、羽を広げて少し高いところまで上昇し、すぐに下降してきてどういうわけかの頭の上にとまった。そんな鳥の重みにも、のってきたことにも全く動じず、はただひたすら崇黒虎を見つめる。崇黒虎は再びへらりと笑う。 「きみは仙人になるんだ」 仕えていた城主の弟である人が、その瞬間、兄弟子へと立場を変えた。 戻 2006,11,04 |